生きるための逃走はありありです。なんて言葉もあるけれど、それはまっとうに戦って、その上で命を失わないための逃げ、すなわち「次の戦いに備えるため」の戦略的撤退に限られるんじゃないだろうか。
自分が、そうではない逃げ方をするための助走を始めている。それに気づいてしまったなら、なにをおいても止めなければいけない。しかも、ただの逃げどころじゃない、詐欺的な逃走劇ならなおのこと。
逃げたいがために自分を追い込んで、あえて死にそうな目に逢いにいく。これだけ苦しんだのだから逃げてもいいだろう。そんな言い訳のための辛苦。
これまで何度も、億劫な思考と決断を避けて、物事から逃げてきた。ただ逃げるのでは格好がつかないので、「生きるためには仕方ない逃走ですよ」という予防線を張って。そうやって何かから逃げるとき、ぼろぼろになった私の足には重い枷がはまる。苦しんでついた傷はなかなか癒えないまま。
これを積み重ねていくと、いつか必ず動けなくなり、そのまま終わってしまう、という確信だけがある。それだけはだめだ。というか、そもそも保身なんかのために無駄に苦しむのも絶対に良くない。
だから今日も逃走の兆候を感じては、いったん自分の両肩を引っ掴んで前を向かせる。「逃げんなよ」の脅し。
どうせ逃げるなら、素直にケツまくって逃げろ。