世の中には2種類の人間がいるという。
曰く、絵で思考する人間と文字で思考する人間だ。
私は長らく、自分は文章に強い方だと思っていたのだけれど、どうやら思考自体は絵で行なっているようだ、と最近気づいた。何かを思い出す時や考え事をしている時、まず浮かぶのはキーになる情景だ。その後に、その絵面を言葉に変換する、というプロセスを経ている。文字の情報を取り入れるのが苦手な方ではないが、ベタ打ちのテキストよりはある程度ビジュアル的に整理されていた方がわかりやすい。
咄嗟の会話が上手ではないのは、そんな思考スタイルの影響なのかもしれない。思考をリアルタイムで言葉に変換するのにラグが出ているのでは。そういえば、物事を口で説明する時、つい変なジェスチャーをする癖がある。
しかし、こうして文章を書いているように、アウトプットは文字である。実は、あまり向いていないことを頑張っている状態だったりするんだろうか。
そういうことに気づくと、少しだけ思考がしやすくなった。社会のやり取りの多くは文字と言葉で成り立っている。これまでは「言葉でインプットし、思考し、アウトプットする」という作業にぎこちなさがあったが、もう少しやりやすいように「思考の部分をイメージ優先にする」したところ、だいぶ、色々なものに対する理解度が高まったように思う。
テキストベタ打ちの情報を無理にそのまま咀嚼しなくていい。手元でざっくりとしたフローチャートにするなり、矢印を引いてビジュアル的に文字情報を補足するだけでも相当に楽だ。情報整理も、頭の中で要素をポンポンと置き換えるようにすると格段に早くなった。
こうして文章にすると、仔細が全く伝わらないのがもどかしい。そう。問題は、文字←→イメージの変換の時に枝葉が削ぎ落とされてしまうことだ。こればかりはもう、どうしようもない。言語の翻訳に近いのかもしれない。可能な限り取りこぼさないように、言葉の描写力を鍛えていくしかないのだろう。これがよくいう言語化ってやつなのだろうか。