ジョン・スタインベック曰く、「その人についての物語でなければ、人は聞きはしない。ここにおいて私はルールを作る。つまり、偉大で興味深い物語は、あらゆる人についてのものであり、そうでなければ続けることができないのである。」
例えば、数式や化学式の理論を一つ取っても、そこには仮説がある。仮説とは人が何かを説明したい時に、もしこうならば、と考えた結果だ。それが正解か間違っているかはともかくとして、道筋を立てること。探し求めたいものが本当にそうなのかを確かめるために理論が出来る。まだ不明瞭な理論や、解き明かされていない問題は世の中に山ほどある。幾つかは解明されて今も日常に溶け込んでいる。そこには少なくとも筋道がある。一人が、たくさんの人が、そうであると言えるまで練られたもの。そこに、理解がある。
でも。
オイラーの公式が如何に引用されても、相対性理論が僕たちの居場所を突き止められても、チェスを指すのは一人だった。
いつも。
「アンタのママと……ついでにアンタが今度もお手柄ってワケ? 凄いじゃない」
エルは、窓際の日が当たって眩しそうにしていた。
「撃たれたって聞いたときはもう、ダメかと思ったよ」
「爆破されたのにちゃっかりお姫様を救出したアンタに比べたらねえ」
「冗談じゃないって。全部実際に起こった事だよ」
「ここに居ると冗談じゃない事ばっかり起こって、何が実際に起きたかもうわかんないくらいよ」
生死の境を彷徨っていた、と聞いたが、実際の所、突然容体が悪化するようなこともなく、カテーテルを抜けばすぐにでも働きに出られそうだった。
「まあ、休暇は増えたわね。皮肉なことに」
アイロニーは、つまるところ、話していることが、そのまま伝達したいこととは限らない。僕らを悩ませ、死傷者が出て、被害者は助かって終わった”アーサー王事件”は、チーム内の犠牲を出さずに済んだ。一応は。
起きたら起きたで、彼女は自分を撃った犯人に仕返し出来なかったことだけが悔しそうだった。BAUの皆が仕事の隙を縫ってお見舞いに来たりしている。ホッチからは念入りに休めと言われており、仕事をしなくて済むと安堵しているようにも、すぐにでも仕事に戻りたいようにも見えた。こんな仕事をしている以上、命の危機なんて日常茶飯事だけど。「責任を感じなくてもいいのに」僕もそう思う。あの場に居た全員はエルも含めて、最終的にはきっと、まさか、そんなことと判断したはずだ。ギデオンだって、多分。
調子はどう?だとか、皆の様子はどうだ、という手持ちのカードを切ったあたりのことだった。
「そういえば、リードのお母さんってどんな人?」
「どんな、といっても……」
あまり、考えた事はなかった。
「そういえば、リードが私たちの話を聞いてることはあっても、あまりリード自身の話を聞いたことはなかったわね」
「僕が? いや、そんなことはないと思うけどな」
「そうよ。天才ってば統計だのパズルの答えだのは教えてくれるけど」
「あれは教えるって言うよりは公開されている物の参照であって」「そういうところよ」「あー、」
皆は僕のお母さんのことをどう伝えたんだろう。どう、というのは。どこまで知っていて、どこまで聞いているのか。お母さんは確かに今回の事件の犯人に関係していて、ほとんどインスピレーションを与えてしまったのではないかというところもある。
僕が、皆から信頼されてかどうかはともかく、母親にだけ打ち明けていて、それが結果的にエルの命の危機にも繋がっていて。
「……珍しいわね。あんなに饒舌なのに。そんなに難しく考えないで良かったんだけど、言いたくない事だったら言わなくて良いわ」
「いや、待って。今、考えてる」「考えなくていいってば」
「こういう時は……そうね。子供の頃の話とか、してもらった嬉しい事とか」
してもらったことを、忘れていたのに。ささやかな、でも大事だった引っ掛かりを、クイズの途中で思い出した日だった。
「……撃たれて、手術を受けていた時かな。走馬灯ってヤツ?私はBAUのいつものジェットの中に座っていて、目の前に父が居たの」
・
・
(〆予定文)
「あのひっどい血の落書きは誰が消してくれたのかしら?」
「さあ」
「やだ、残業代私からは出せないのに」
「休暇の妖精が消してくれたんだろう。妖精は残業しないからな」
「もう、しばらく伝承だのお話だのはこりごりよ。ありがとう残業の妖精さん?」
「……また働いてくれるなら何よりだ。馬車馬のように」
「やだ!!」