部活を終え、帰宅し風呂から上がった真波は机の上に一日中置きぱっなしにしていた自身の携帯を見る。黄色に点滅している光が電話があったことを知らせていた。
自転車競技部のメンバーは真波が携帯の通知を無視することを知っているから誰も携帯に連絡してきたりはしない。他校の連絡先を知っている人は一人しかいない。
だからこれが誰からの連絡なのか真波は知っている。
「坂道くん」
真波のたった一人のライバルの名前を呟く。この名前を口に出すだけで『真波くん!』と呼んで、レースの度に駆けてくる彼の姿が自身の脳内で再生される。まだ暖房も入れていないこの部屋は寒いはずなのに。彼の人を惹きつける屈託のない青空のような笑顔を思い出すだけで温かくなる。全然、寒さを感じない。
なんで、今日は携帯を置いてってしまったんだろう。
以前は彼の声を聞かなくても、彼と何ヶ月も連絡をしなくても平気だった。毎週のように送られてくる彼からの連絡は時々、自分の気が向いた時に返すだけ。
それだけで良かったはずなのに。
『こんばんは、真波くん。今日はね鏑木くんがおっきなカブトムシをね。部室に持ってきてくれたんだよ!ボク、虫がにがてなんだけどカブトムシはね。それで鏑木くんがカブトムシの勝負をしようって。皆で部活が終わって夜にカブトムシ探したんだ。それでね――。もし真波くんともカブト虫探ししてみたいな。真波くんは虫は平気?』
『ボクの住んでるところには大きな沼があるんだけど、今日はそこで皆で釣りをしたんだ。鳴子くんが淡路島で鍛えた釣りを見せてやるって……でねボクは結局一匹も釣れなかったんだけど。もし真波くんと――』
次のレースの出場者のことや部活のメニューのことを始めはオレに言っていた彼の留守電は総北のメンバーに注意でもされたのか。数ヶ月も経てば、自転車以外のことばかりを彼はメッセージに残す。
最初は面を食らった。なんでお互いに自転車以外に共通点が無いのに、坂道はこんなことをわざわざメッセージに残すんだろうと。
それのどれも楽しかったから真波ともしてみたい。と最後は必ず締められていることに気付いたのは何回目の電話だったんだろう?
真波に会いたい。自転車以外でも一緒にしたい。そう遠回しに電話で彼は毎週のように伝えてくる。まるで真波に好きだと告白するように。
心がどんどん逸っていく。
「早く、オレに今日のキミを教えて」
スマホのロックを解き、彼からの音声メッセージを再生する。
『真波くん。今日はね、ボク、部活が終わってアキバに来てるんだ!今ちょうどね。真波くんがボトルを置いてくれた場所にいるんだよ!』
何人の人がごっだ返すしているであろう雑踏の音で彼の声がいつもより聞こえない。それでいて彼は興奮気味で声もどこかうわずって早口だ。
『真波くんがアキバでボトルをくれて。今年もちゃんとボク、真波くんに返せて良かった。それとね…ボ…』
ブチッという音ともに彼の声がかき消えてしまう。
「切れちゃった。そっか留守電って長くて一分位なんだっけ」
留守電メッセージは長い音声を相手に残すことは出来ない。
今までの彼の録音メッセージを思い出す。短いたった一分程度のメッセージ。
今日を除いては、そのどれもが全て時間内に収まっていた。そして、最後は必ず真波ともこれがしたいと坂道は伝えて終わる。
「今日はキミはオレと何がしたかったの坂道くん?」
真波は机の上に置いているボロボロで傷だらけのサイクルボトルに手を伸ばし掴む。
そしてベッドに腰かけ手元にあるボトルを見つめる。坂道が電話で言っていた秋葉原に置いたボトルじゃない。弱かった、かつての自分が捨てたボトル。今では部活でもレースに出る時も常にこのボトルと一緒だ。このボトルが近くにあるだけで。まるで、坂道と一緒に走っているみたいで。
「坂道くん」
知りたい。キミが何をオレとしたかったのか。
ベッドに転がしたボトルに左手は触れたまま、右手で通話ボタンを真波は押した。プルルと電話が鳴る。二コール、三コール。何回目のコールで相手が出なければ留守電メッセージに切り替わるのだろう。真波が時々気まぐれに連絡したらいつもすぐ出た彼は今日に限っては電話に中々出ない。
坂道はもう眠ってるのだろうか?
『は、はい!真波くん。小野田ですっ!』
「知ってる」
彼らしい、第一声にあははと笑ってしまう。
『どうしたの。真波くんが夜にかけてくるの珍しいね』
ああ、この感じだ。坂道といるとそのペースに真波は巻き込まれる。
電話をする前は彼の声を想像して温かくなっていた胸は今は、坂道の発する声を聞くだけでドクンドクンと鼓動が速まる。ああ、そうか。そうなんだ。
「オレね、坂道くんが好き」
『ひえ!?真波くん』
電話の向こうで彼が慌てる声がする。
「ねえ、教えて坂道くん。今日はキミ、アキバでオレと何がしたかったの?」
『えっあのっその』
戸惑い、まだ次の言葉が出ない坂道に真波は更に続ける。
「オレはね、キミとアキバでデートしたい。もちろん恋人として。坂道くんは?」
『ボクも!真波くんとアキバでデートしたいです!も、もちろんボクも恋人として!』
と彼は続けた。
「じゃあさ、今週の土曜日に早速デートしよ。坂道くんのオススメ、オレに教えてね」
『じゃ、じゃあボク、真波くんと行きたいところがあってね』
坂道の言葉の雨に真波はずっと耳を傾ける。そして真波が『良い計画だね』と言えば坂道の電話越しでもわかる嬉しげに弾んでいる様子がわかる。
電話を終え、真波はベッドに身を横たえる。手元には坂道との最初の約束の証のボロボロのボトルを抱いて。
新しい楽しい二人だけの約束に想いを馳せて、真波は眠りについた。
終