クリスマス延長戦

もち
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 子どものおおよその眠りの深さを、寝息ではかれるようになったのはテディが一歳をすぎたころのことだった。もう眠ったかなと期待しては、ベッドに寝かせたとたんに目があうというようなことをさんざ繰り返し、ふとニンファドーラは気がついたのだった。眠りの国のただ中にいるものにしかできない、そういう寝息があるのだと。

 眠った? と小声でドーラはたずねた。おそらく、とリーマスがいっそう小さな声で返す。小さなテディは父親の腕に抱えられ、肩に頬をあずけてすやすやと安らかな寝息を立てている。ドーラはその顔を覗きこみ、じっと見つめ、それから指で輪っかを作って頷いた。リーマスの肩越しに、モリーに向かって手を振る。それから(ごめんね)と申し訳なさそうに口をぱくぱくと動かした。モリーも同じく手を振り返し、(いいのよ)と無言で返す。

 フルーパウダーをひとつかみし、暖炉のなかに投げ入れた。手を振り上げたとき、うっかりして立てかけてあった灰かき棒にぶつかってしまった。あっ! とドーラは思わず目を瞑ったが、がっしゃんと大きな音は鳴らなかった。灰かき棒が床に倒れて派手な音を立てるすんでのところで、リーマスが足首に棒を引っかけてくれたのだった。リーマスとドーラは目を見合わせ、ほっと息を吐くとほほえみあった。ともかく、小さなかわいいテディの穏やかな眠りは、何にもさまたげられていない。

*

「あの薬、ずいぶん効きがいいのねえ」

 ベッドルームから戻ってきたリーマスを見て、ドーラは感心したように言った。リーマスは苦笑して長く白いあごひげを撫でた。あごひげのみならず、髪も、眉毛も、ついでに言うと耳から数本飛び出た長い毛も、すべて真っ白になっている。

「僕は試作品のテストに使われたんじゃないかと疑っているよ」

「うわ、そうかも。売り出し始めたらマージンをもらわないとね。あの双子ったら、ほんとうに油断も隙もない」

 ドーラはくすくす笑いながら、暖炉の中の薪に火をつけた。火の勢いが強すぎて一気に燃え上がり、暖炉内に残っていた灰が舞い上がる。「おやおや」とのんびり言いながら、ドーラは杖を振った。とたんに火の勢いは落ち着き、そこらを舞っていた灰は跡形もなく消え去った。

 ウィーズリー家で行われたクリスマス・パーティで、ハリーとハーマイオニーが「マグルのクリスマスには、真っ赤な服を着た白ひげのおじいさんがトナカイの引くそりに乗ってプレゼントを持ってくる」とテディに教えたのが悪かった。はたで聞いていたアーサーは興奮して詳細を聞きたがり、モリーはクリスマス・プディングを上手く切り分けることに集中していた。そのあいだに悪だくみを思いついたウィーズリー家の双子が、自作の老け薬をリーマスのワインに仕込んだのだった。

「変な味がしなかった?」とたずねられたリーマスは肩をすくめ、「甘くておいしいなと思ったよ」と答えた。ドーラはけらけらとおかしそうに笑った。

「ああでもね、なんだかわたし、すごく得した気分。リーマスは歳をとるとこんな感じなんだーって」

「さすがにこんな、何もかも伸びっぱなしにはしないさ。あごひげも眉も耳の毛だって……でも正直なところ、口ひげの感じは気に入った」

「伸ばすの?」

「もしかすると、いずれね」

 ふうん、とドーラは興味深そうにリーマスの顔を覗きこむ。先ほど老け薬を飲まされた直後よりはいくぶんか若くは見えるが、目尻の深いしわや薄い膜が張ったような瞳や、いつもよりずっと柔らかくなった肌は老人のそれだ。

 暖炉の火が穏やかに燃え始め、リーマスはお茶を入れると言ってケトルを手に取った。水をたっぷりと入れ、手前にある炎の上に浮遊させる。茶葉の入ったブリキ缶を手に取り、使いこまれた真鍮の茶さじを突っ込んだ。ざ、とさじが茶葉をかき分ける音。やや渋みの勝った大人向けのブレンドは、リリーのオリジナルだ。数日前にやってきたとき、「クリスマスティーにどうぞ」とドライフルーツとともに置いて行ったのだった。リーマスはポットに茶さじ二杯の茶葉と、ドライフルーツを山盛りにして入れた。それからあっという間に蒸気をふき始めたケトルから、静かに湯を注いだ。

 ぱちぱちと薪のはぜる音の向こうで、テディの寝ぼけた泣き声が聞こえた気がした。二人は思わず顔を見合わせ、黙って耳をすませた。五秒、十秒と沈黙を保つ。あるのは目の前の炎がとろとろと燃える平和な音だけだ。気のせいだったか、あるいは上手く眠り直すことができたのだろうと二人はほっとする。

「……あのこもすぐにホグワーツへ通うようになるね」

「まだあのこは三歳だよドーラ!」

 リーマスはしゃがれ声で笑った。ドーラは少し頬を膨らませて言った。「だって、子どもって生き物がこんなにも早く成長するものだなんて知らなかった!」

「ああ、確かにそうだね。でもクリスマスには帰ってくるさ。ホグワーツへ行っても、クリスマスは家族で過ごせる」

「いやあどうかなあ。だってわたし、友だちと過ごすからって言って家に帰らない年もあったもの」

 ああ、とリーマスは思い出したように相槌を打った。

「そういえば僕も……ほら、どうにもタイミングの悪い年は、何回かホグワーツでクリスマスを過ごしたよ。そういうときは仲間たちも一緒になって残ってくれてね。……ご両親は寂しかったろうな」

「でもリーマスにとってはすごく楽しいクリスマスだったんじゃない?」

「さあどうかな。クリスマスくらい静かに、落ち着いて、厳かに過ごす日があってもいいと思うけれど」

「ええ、なんだろう。等身大の雪だるまも含めて雪合戦をしたとか?」

「ああ、その雪玉が人間の頭より大きくなかったのなら、僕もずいぶん楽しんだかもしれないね」

 ついでに雪だるまは剛腕だった、とリーマスが言い、ドーラは声を上げて笑った。

「あなたたちと同じときに、ホグワーツにいられたらよかったのに!」

「ダンブルドアは、僕らときみが同じときにホグワーツにいなくてよかったと思うだろうな」

 リーマスもおかしそうに笑って言った。その声はもうほとんど元に戻っていて、先ほどまでのしわがれた声はドーラの耳の奥に少し残るばかりだ。声が出しづらくてしきりに喉の調子を気にするようすも、今はもう見えない。ふと視線を落とした先にあるリーマスの手の甲も、元あった骨ばった精悍さが戻ってきている。ドーラはふいにもったいないような気持ちになって、リーマスの両頬をてのひらで包んだ。とつぜん顔を挟みこんだ手にリーマスは驚き、まばらに白いまつ毛の残る両の目を見開いた。もしも学生時代にドーラがいたなら、転げまわるみたいに底抜けに楽しい毎日だったに違いないと想像していたのだった。

「驚いた。どうしたんだい」

「老け薬の効果が切れ始めているみたいだから、今のうちによく見ておこうと思って」

 真剣なまなざしで言うドーラに、リーマスはほほえんで「気に入ってもらえたようでうれしいよ」と返事をした。

「ああ、あと何年したらまた会えるかなあ」

「テディがホグワーツへ行って、卒業して、大人になって……もっとずっと、今はまだ想像もできないくらい先の話さ」

 リーマスはそう言いながら、ドーラの前髪をかき分けるとまるい額にそっとくちづけた。短くなり始めたあごひげが当たって、ドーラはくすぐったそうに身をよじる。あーもう! とじれったそうに言うと、今度はドーラのほうからリーマスのくちびるにキスをした。

「あごひげが腰のあたりまで伸びるくらい歳をとっても、あなたのことを好きでいるってわかっちゃったじゃない!」

「それは残念だ。将来の楽しみがひとつ減ってしまったね」

 二人はお互いにくすくすと笑いあい、それからまたひげをよけてキスをした。リーマスは部屋の外で廊下の板がきしむ音を聞いた気もしたが、暖炉の火で家の中が暖まり始めたせいだろうと思った。あるいは、控えめな性格のポルターガイストがルーピン家にやってきた、その挨拶かもしれない。

――『ママがサンタにキスをした!』――