しばらく日記を書いてなかったのは単純にサボっていたからである。サボタージュのあいだに、というか昨日の朝起きると、街の空気はすっかりまるっと秋の乾いた空気になっていた。
朝ドラ「虎に翼」にハマり続けた半年、その最終盤に来てわたしは自分自身の渇望を突きつけられた。恐ろしい存在に思えた少女の美佐江が、死の間際に手帳に残した言葉は、わたしからは遠いものには思えなかった。特別でなくなる前に死ぬしかない、今より若いころにそう思ったことがないとはとても言えないのだ。
「特別でありたい」という感情は、どこから生まれるのだろう。わたしは今もまだ、どこかで「特別でありたい」という感情を抱えたまま、もうすぐ40になろうとしている。今日、トラちゃんは美佐江の娘の美雪に「あなたは特別じゃない、でも子どもたち一人ひとりがそれぞれ特別」と言った。わたしは自分のことをそんなふうに思ったことがない。自分で自分のことを特別だと承認することができない。他者からの特別だという承認を欲しがってしまう。こういう話をすると、「つれあいからの承認があるのになぜ?」と思われるかもしれない。むしろ自分でも思う。つれあいがわたしを承認してくれていることはそれとして、やっぱりわたしは自分を認めていないのだ。わたしはわたし、と思えない苦しさはずっとあって、それはいくらこすり洗いをしてもどよんと汚れたままのコンタクトレンズみたいにわたしの目を曇らせる。曇った目でわたしを見ても、そこには「特別でありたい」という気持ちでぶよぶよと膨れ上がったわたしがいるだけだ。「虎に翼」を見ていて、こんなふうに突き刺さるとは思わなかった。
急にまるっと夏が秋に入れ替わったからか、どうも精神の調子が安定しない。具体的に言うと鬱っぽい。ここしばらく躁にも鬱にも振れてなかったのに、昨日の夜はつれあいに髪を乾かしてもらいながらべそべそ泣き始めてしまい、“カワウソ”と呼んでいるYouTubeのストレッチ動画もやらずに泣きながら寝た。起きてからもすっきりしなくて、アミノ酸を飲んでどうにか起動したけど、仕事中も頭がぼんやりしていた。ぼんやりした頭の中で、「し、死ぬる〜!」と「し、死にたくねぇ〜!」の二つの叫びがフォークダンスを踊っていた。
どうにか鬱状態に陥らずに過ごしたいのだけど、はてさて。