オフィスのコーヒーマシンのサニテーションをしようとしたら、シンクにコーヒーの豆がらをぶちまけてしまった。エスプレッソマシンなので豆は細かく、圧縮された豆がらは摘もうとするそばからおぼろ豆腐のようにもろもろと崩れていってしまう。ちみちみちみちみ豆がらを拾いながら、そういえばもう疲れたな、と思い出す。気力体力に満ちた女性たちがもりもりエンパワメントしていくさまはとても頼もしくてかっこよくて、でもちょっと最近は疲れてもいる。持病があり、もともと体も丈夫ではなく、精神はもっと丈夫ではなく、日々の生活に何かを足せたとしてもティースプーン1杯ほどが限度という自分のうつわの小ささを自覚せざるを得ないからかもしれない。六畳間くらいのちょいエンパワメントなら、もっと素直に受け止められるのかもしれない。六畳間ならまだどうにかわたしの手でも届きそうな気がするからだ。コーヒーマシンで淹れたコーヒーを飲む女性だけでなく、その豆がらを拾う人による拾う人のためのエンパワメントがもっと見えてもいいのに。そんなことを思いながらマシンのダストボックスを洗っていた。
帰り、電車を降りて改札に向かうと、過ぎていく人並みの中で呆然とかがんでいる年配女性がいた。彼女に駆け寄ってしゃがんで様子を伺う。彼女の足元には倒れたキャリーカートがあり、ハンドルが足に引っかかってしまったようだった。キャリーカートを引き抜いて起こして彼女に渡すと、「まあ…!本当にありがとうございます!」と強くわたしの手を握ってくれた。あたたかくて力強い手だった。わたしのしたことはささやかなことでしかないけど、彼女の手の温度を思い出すと少し嬉しくなる。「お気をつけてお帰りくださいね」と別れた彼女が、無事に家に着けていることを祈った。