逃げる男、レッドフォード

spnminaco
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公開:2025/9/20

9月20日 

illustration by minaco.

高校時代の同人誌仲間にロバート・レッドフォードの大ファンがいたけど、自分はハンサムガイに興味なくて、後に相方がまた大ファンで、それからは意識的に彼の映画を観るようになったのだが、どうも世間的にもレッドフォードは(サンダンス映画祭などの貢献を除き)いささかスルーされてきた気がする。特に日本では、イーストウッドほど話題にならない。同じように監督作も多いイーストウッドほど評論や研究が見当たらない。なぜか、俳優としても監督としてもレッドフォードは語られない。

私にとって俳優レッドフォードは、逃げる男だ。全部観てるわけじゃないけど、代表作の多くはそうだ。

なにせ初期の『逃亡地帯』では脱獄囚だし、『雨のニューオリンズ』では逃げたいナタリー・ウッドを見捨てて、『裸足で散歩』ではジェーン・フォンダの挑発から、『追憶』ではソウルメイトのバーブラから、『スティング』では借金取りのギャングから、『華麗なるギャツビー』では本来の自分から、『ホット・ロック』では過去の失敗から、『ナチュラル』ではグレン・クローズを置きざりに、『候補者ビル・マッケイ』では選挙に担がれて、『大いなる勇者』では山奥へと、『華麗なるヒコーキ野郎』では空へと、『オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜』では海へと…監督を兼ねた『ランナウェイ/逃亡者』もあるし、もちろん最たる逃げは『明日に向かって撃て!』だ。一方で、後継者と言われたブラピとの共演作『スパイ・ゲーム』でのレッドフォードは、セルフオマージュを込めて「逃がす」。先住民を追跡する『夕陽に向って走れ』と、世紀のスクープを追いかける『大統領の陰謀』は例外的。

そう、レッドフォードが演じてきた男は、時代の変化や体制に背を向け自由を求めて逃げる(闘う、ではない)、やけっぱちのアウトサイダーだった。そこが同時代のアンチ・ヒーローと一味違う独特さ、実に興味深いところだった。

最後の主演作『さらば愛しきアウトロー』で監督デヴィッド・ロウリーは、レッドフォード演じる老いた銀行強盗の犯行自体より、その逃げ様を描いている。この映画では時代が彼を追い越していくのではなく、まるで「逃げ果せたサンダンス・キッド」のその後みたいに、いつまでも往年の夢の中にいる。ブッチ・キャシディ亡き後サンダンス・キッドが一人、それでも夢を生き続ける。追いかけてくる時間やしがらみという敵をものともせず、レッドフォードは逃げ続けて逃げ切った。それを見届けた。結果としてもはやトールテールというより、フェアリーテイルだ。

ならば、きっと今頃は、ブッチが待つオーストラリアに辿り着いたのかもしれない。そう思いたい。アフガニスタン・バナナスタンド!

@spnminaco
後ろ向き日記