片目で立体視よっつ目公演『片目で立体視の星間飛行』を観て

spnminaco
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惑星を掃除する女王様の芝居オリジナル・イラストパッケージによる特製マッチ箱。中には没ネタのメモ入り。

片目で立体視よっつ目公演『片目で立体視の星間飛行』を観劇してきた。4話のSF連作集で、すべて嵯峨瞳さん作・演出である。巨大惑星ソラリスの周辺に点在する、言ってみれば地方都市のような、小さな星々を舞台とした物語だった。

以下、クドい感想を。

第1章「コインパーキングの星」は、一人芝居。女王さまが1人でせっせと手入れしてきた我が星を、ある日コインパーキングにする話が持ちかけられる。

「星の王子さま」を思わせる白い惑星と一体の衣装デザインがファンタジックで可愛らしいが、なかなか世知辛い展開だ。古い蔵や商店の跡地があっちもこっちも高層マンションかコインパーキングと化した地元中心地を連想せずにいられない。ふんわり広がるドレスを引きずって歩き回る女王さまは、土地から離れられない囚われの身でもある。スウィート&ビターな孤独。そこへ世慣れた流れモグラが現れて、甘言でつけ込む。

とはいえ、女王さまはただイノセントな田舎者ではなかった。一旦立ち去るモグラを「もう来ないで」と見送る彼女には、都合よく土足で踏み込む余所者への本音が見える。女王さまは自らウマい話に乗るほど軽率じゃない。それでも…小さな愛らしい星と流れモグラは、ひっそりと静かに終わりを迎えるのが残酷だ。

日坂さとさんが女王さまとモグラの対照的な2役を演じ(煙草の仕草がやけにリアルで印象的)、その穏やかで平熱の語りに物哀しさが滲む。でも、最後の一言はなくてもよかったかな。

第1.5章は、舞台奥に並んだスツールで展開するシュール&ナンセンスな「たかしの星」。バーで待ち合わせをした女性2人、そこに居合わせた男1人の会話劇だ。嵯峨さんは出演もしている。

嵯峨さんの書く作品は、ありがちなクリシェに逆らおうとするようなところがあって、小気味好く面白い。よくある場面、よくあるキャラクターかと思わせて、その隙に不穏に逸脱した所へ持っていく。その落差の最たるものが本作だった。

見知らぬ男、仲の良い友人を相手にした嵯峨さんのリアクション芝居が冴え渡り、伸び縮みする関係的空間的間合いの面白さを引き出していた。自分もボディスナッチャーものとかよく妄想するし、これが一番好き。SF短編コメディらしい起承転結に拍手したい。

第2章、「ドン・キホーテの星」。たぶん1回入った記憶しかない自分は、そういやそんな所だっけ…と、ドン・キホーテ(銀河最大のテラドンキ)店内迷宮で繰り広げられるディストピア活劇に今一つ乗れず。お馴染み?のBGMがガンガン流れる中で、若いキャスト2人の言葉が聞き取りづらく、演技演出がいささか雑に感じられた。

大量消費の脅迫的呪い、搾取労働、そこからの逃避すら消費される…って要素は悪くない。「かわいいから欲しいんじゃないでしょう。手に入りそうだからかわいいと思ったんでしょう」は鋭いが、蜘蛛の糸とデンタルフロスの見立てはもっと面白くなりそうだった。ちょっとだけ『未来世紀ブラジル』っぽいかも。

そもそもソラリスといえばSF好き、映画好きにはアレな訳で。第3章「エコーの星」は、タルコフスキー『惑星ソラリス』とかなり近い感触の芝居であった。嵯峨さんが意識したかどうかは知らないけど…。

なので、「父親」が延々繰り返すモノローグからその後の反転はある程度予想された。残り続ける存在、響き続けるエコー、そこにいない存在がいること。照明美術と演出は、シンプルに宇宙の広さ遠さを感じさせるのに成功していたと思う。そして言葉のギミック。語られない余白と時間の余白。

新沼温斗さんは「息子」の息子らしさに似合っていたが、紅鮭弁当さんが今公演の中で異色というか、新鮮なキャスティングだった。


どのお話も現実の延長にありつつ、れっきとしたSFとなっていて満足度は高かった。但し、思うにどうやら、嵯峨さんの作品は役者さんを選ぶかもしれない。

物哀しさや怖さ残酷さ、さりげなく鋭い反骨精神、優しさやユーモアのニュアンスは力んだ演技だとうまく伝わらないんじゃないかと。その意味で、『ヤクルトレディー猪又さん』(観客参加型短編演劇コンテストもりげき王2019優勝作)の日坂さん嵯峨さんの再コンビはさすがツボをおさえてらっしゃる気が。

何度でも言うけど、『ヤクルトレディー猪又さん』は傑作でした。

@spnminaco
後ろ向き日記