スポーツをする時、なぜか身体が思い通りに動かない。そんなことが度々ありました。まるで強力なバネで全身を締め付けられているかのように、身体が重く苦しい。夢の中で身体を動かす時のように、力を入れてもなかなか身体が動いてくれない。そんな感覚が訪れるのです。
メンタルが弱い。緊張のし過ぎ。それはまあそうかもしれませんが、どうもそれだけが原因とも言えない。なぜなら、それは普段の何気ない練習の中でも起こったりするのです。これは一体なのなのか。色々な人に相談したり、様々なメンタルトレーニングを試みたものの、解決の糸口は見つかりませんでした。
そんな八方塞がりなある時、ふとこんなことを思ったのです。自分はいつも「カッコ良いプレーを見せたい」とか「実力を認めてもらいたい」とか、そんなことばかり強く思っている。でも「カッコ良いプレーを見せたい」なんて、すでにその心の有り様がカッコ悪いんじゃなかろうかと。
そこで、自分の存在を無くしてみることにしました。自分をどんどん薄めていって、限りなく透明に近づける。実力を認めてもらえなくもいい。目立たなくもいい。そんな風に自分の中の『自分』を消していく。試合の始まるピッチの上では、まるで一人足りないかのように。スタートラインに立った時は、自分のレーンは棄権しているかのように。まるで自分がそこに存在していないかのように。透明に透明に。
すると不思議なことに、身体が躍動したのです。自分でも驚くくらい、身体が自由に動いてくれる。そしてそれを見ている周りも驚いている。透明な自分はなんかすごいプレーをしている。信じられないくらいに。
だけどそうやって周りの注目に気が向くと、今度は次第に透明ではなくなっていきます。「すごいでしょ」「かっこいいでしょ」。そんな自分が姿を現し、気がつくとまた強力なバネに全身を覆われ、身動きが取れなくなっていく。
どうやら、身体を締め付けていたバネは『自分』だったようです。「周りにすごいと思われたい」、そんな『自分』が強力なバネとなって身体を締め付けていたのです。だから『自分』を薄めれば薄めるほど、身体は自由に動いてくれる。『自分』がいない時、身体は能力を存分に発揮してくれる。
ただ少し残念なのは、そうやって能力が発揮されて周りに絶賛される時、それを味わう『自分』はそこにはいません。そこには、ただただ爽快な気分だけが残ったのです。