思考にも質量がある

sponge
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思考。

明日の献立を考えたり、思い浮かんだ言葉、嬉しかったなぁという感情、不安や葛藤、悩みなんかも、全部「思考」。

定義を明確にする必要はなくて、ざっくり、「頭を使って処理する情報」のことを思考と仮定する。

すなわち、思考=情報。

ただ、「情報」と一括りにしてしまうと、「五感などの感覚情報はどうするのか?」という線引きの話になるので、”頭を使う”という前置きを入れたい。

人間は有形だし、有限な存在。個人差はあれど、領域や容量が決まっていて、永遠ではない。それは身体だけでなく、思考・観念・感覚・時間なども、それ自体は有限でないかもしれないが、僕たち人間が享受し理解できるのは限りがある。

脳なのか、心なのか。思考がどこに保持されているのかは、分からないけれど。懸案思考のスケールに比例して、重さや容量は変化する。そして、思考のキャパシティはみんなが思うよりは、かなり少ない。

自分の脳内で保持されている思考を、紙やメモアプリに書き出してみると分かるが、大抵の人は20個もない。むしろ、一桁だったりする。雑な言い方だが、人間は意外としょぼい。

思考が詰まってくると、気持ちや体が重くなる。イメージとしては、カバンの中の荷物が増えていくと重量が増すのと同じ。また、思考も便と同様に排泄する必要がある。思考も食物と同様に、生ものだ。

忘れる、書き出す、圧縮する、処理する。

どんな方法でも構わないけれど、情報過多の社会でスムーズに生活を営もうとするなら、思考はあまりため込まない方がいい。

@sponge
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