自分がやりたいことが、いつも本心とは言えない。言い訳であることだってある。
言い訳が悪いかどうかは、議論しないこととする。
ここで言いたいことは、その「願望」は、本当の望みを隠すために用意されていないか?を考えることの大事さ。
本当の望み(本望)を叶えることや、達成することに、どこまでの意味があるかはひとそれぞれだが、本望が果たされないと、いつまで経ってもそこに止まることになる。
止まりたくて、その方法を選んでいるなら、むしろ賢明だとは思う。その人は、おそらく楽しんでいるだろうから。
かく言う自分も、本望なのか、言い訳なのかに悩む事がある。悩まない人間なんて、いないんだけれど。
どちらにせよ、解決策や打開策として「やりたいこと」を生み出すとするなら、どんな理由であれ、いずれ解決策になり得る。要は、取れる選択肢は多いに越したことはない。
選択肢が多いと、悩むことにはなるが、不幸にはならない。
そう考えると、本望は、とてもシンプルで穏やかなものだと気づく人もいるかもしれない。
「それを得るために、どうしてここまでしなくてはいけないのか?」
なんて、考えるかもしれない。僕もその一人だ。
ひとまず、僕は「旅を楽しもう」と考えている。