最近何をしていても楽しくない。楽しくないというか何かを「好き」と思う感情を、何かを好きになる方法を忘れてしまったようだ。今週は残業続きだったので、リフレッシュするためにネットカフェに来てみたが、何をすればいいかわからなくてこの文章を打っている。
おととしの春、社労士の資格を取ろうと決めた。難関国家資格だからたくさんの勉強時間が必要だった。勉強の支障にならないようにと何かにハマらないよう、のめりこまないようにオタク人格を封印することを決めた。当時オタクをするのに疲れていたし飽きていたこともあって、封印することはそんなに難しくなかった。
いつしか「趣味は何ですか?」と聞かれたときに、本当に趣味が何もないというからという理由で回答に困るようになった。「趣味は探している最中です」がお決まりのセリフとなった。それでも何か好きなことを探したくて、人の趣味をトレースしようとしてみた。そのトレースしたものを趣味として語ることもあるけど、あまりしっくりきていない。
オタク人格を封印して挑戦した社労士試験だけど、一点足りなくて落ちてしまった。また封印し続ける1年が始まった。今もその真っ最中だし、試験が8月だからどんどん戦いの日は近づいている。
年収を下げる転職をしたせいでお金がない。数か月前に始めた一人暮らしも食費と日用品代だけでお金がかかる。オタ活はお金を使ってこそなので、今の自分では何かにはまっても十分に楽しめないだろう。お金をかけない趣味は時間がかかる。自分は受験生だからそんな時間があったら勉強にあてるべきだ。
そうやって「好き」を殺し続けていたら、ついに「好き」の気持ちさえ分からなくなった。ハマるということがわからない。ときめきの感情も思い出せない。全てが時間潰しとしか思えない。スナック菓子のように一瞬で消えていく。何を見ても自分の潤いにできない。明日を生きるエネルギーにできない。
オタクたちが感情豊かに推しのことを語る様子を見ていると、外国語を聞いているように聞こえる。自分の感覚にない話をされているからよくわからない。でも大好きなオタクたちとの時間だから、ボールを返すように努めているけれどちゃんとできているかわからない。今の自分にとっては遠すぎる過去を手繰りよせながら、楽しそうに話す相手をトレースしながら、オタクだった自分を再現することに努めている。でも単なる真似にすぎないから中身は空っぽだ。
別に実の母親はそういう人ではなかったけれど、自分は子どもに勉強を強いるため娯楽を禁止する親の人格を生み出してしまったようだ。仕事帰りに映画を見に行くことや、ネットカフェに寄ることさえも簡単に「許可」できない。今日も出勤ギリギリまで帰りは勉強して帰るべきじゃないかと勉強に使っているiPadをバッグに入れるか迷っていた。
2年ほどかけて自分で自分の「好き」の泉を枯らした。日々の仕事でのストレスからも、将来の不安からも逃げられない。逃げ場を自分で壊してしまった。今の自分には「好き」の泉に再び水を取り戻す方法がわからない。今の自分は何を見てもときめかないのだから。何かを楽しみにするという感覚もわからなくなってしまった。この気持ちは直近まであったんだけど、不運が重なって予定が直前で消えてしまうことが立て続いた。期待し続けて目の前で奪われるのは辛すぎるから、最初から楽しみにしなければいいと思う。
よくnoteを購入しているアマチュアの占い師さんがいる。その人のnoteの表現を借りるならば、わたしには大事なものをよくわからない理由で壊してしまう星があるそうだ。今ようやく腑に落ちた。
推しは自分の人生を救ってはくれない。だけど「推し」や「好き」のない生活はあまりにも空虚だ。何かのリリースや現場を楽しみに待つこともない。ただ寝て起きたらやってくる毎日を死んだ目で倒し続けるしかない。現実の苦しさは手放すことができないし、不安はすぐ抱え込んでしまうのに、楽しいことや好きなことを掴むことができない。掴んだとしてもすぐ両手からこぼれてしまう。iPhoneに例えたら充電不良だから常に20~40%で稼働しないといけないような感覚。
今好きなものがある人、何かにときめく心がある人は何があってもそれを大切にしてほしいと思う。それって本当に素晴らしいことだと思うから。