階段の降り方を、今まさに降りている最中に忘れる時がある。待って、足の下ろし方、これであってる?
あの瞬間、私の魂は体から抜けて、重力から解き放たれ、地球を五周くらいして戻って来ているのではないかと思う。歩き方? 忘れたよ、そんなもの。
とにかく、体に戻ってきた私のその後はフラフラである。生まれたての子鹿の方がまだしっかりと階段を降る。生まれたての子鹿に階段を降る機会があるかは知らない。多分どの子にもない。奈良の鹿なら平地で生まれてなだらかな丘で育って、野生なら山肌を走って育つので、人工の段差とは無縁の鹿生を過ごすことだろう。鵯越を駆け降りる鹿、すごいな。なんで馬に真似させようと思ったんだ、義経。馬が可哀想だろ、義経。天才には凡馬の気持ちなんて分からないんだ。源氏の端くれだから名馬になっていた可能性の方が高いが、名馬にだって出来ることと出来ないことがある。ゴールドシップなら出来るかもしれないが。速くて気性の荒い馬と賢い馬を掛け合わせて賢くて速い馬にしようとしたら、速くて賢くて気性の荒い馬になったゴールドシップ(諸説あります)。うちにぬいぐるみがあるけど、「私は人を蹴りました」リボンがついててかわいいよ。いや、危ない。
このように、着地点を見失って、階段をスムーズに降りれなくなるのである。階段もだが、この話はどうオチをつけたらいいんだ。