12/1
みゃみゃ、やばい!という声で目が覚めたら家を出る15分前だった。久しぶりに寝坊した。アラームで一度起きたけどなんにも考えずに二度寝してしまった。アラームより先に目が覚めてしまう日々だったので、私はまだ寝坊できるくらい眠れるんだと分かった。子は時々私のことをみゃみゃと呼ぶ。ママからお母さんに変えるタイミングを失っているらしく、普段はママと呼んでいる。いつまでみゃみゃって呼んでくれるんだろうな、と思う。
昨日粟田隆子さんの「「働けない」をとことん考えてみた。」を読了した。その前に絶対に終電を逃さない女さんの「虚弱に生きる」を読んでいて、なんとなく繋がっている感じがしていたんだけど、ちょうどおふたりがXでトークイベントやりましょう、とやり取りしているのを見つけた。なんだかうれしかった。
12/2
今日はアラームで起きる。でもなんのやる気も出なくてこたつに入ったままインターネットサーフィン。この頃必要な出費も多いし、予定も詰まっていてなんだか忙しい。GSのぬいショに行けるかも怪しくなってきている。
学校に行きたくない、今日は心の底から拒否をしている、と言う子をなんとか宥める。今日は巡回相談の日だからなんとしてでも1時間目だけは行ってほしかった。1時間目終わったら帰ってきてもいいからとりあえず行ってくれと頼む。勉強が遅れることが不安だから行くと言っていたけど、でも仕事の合間にインターネットを見るたびに、なんか無理させて行かせてる方が予後が悪いのでは、やっぱり休ませればよかったかなあ、などと心配になる。結局早退もせずに普通に帰ってきた。
夜は友人が突発的に遊びにきた。子が小さい時から知っている友人で、言葉にはしてないけれどうきうきした様子だった。お茶の用意を積極的に行い、三人でドーナツを食べた。21時前のドーナツ、悪くて最高である。友人はうちにいるパパが置いていった金魚を見て、飼っていた金魚が死んだとき魚拓を取った話をしてくれた。魚拓ってインターネットじゃなくて本来の意味で使われている場面に初めて出会った。
寝る前に「1年だけで吹く曲を部活で決めたけど、自分が案を出した曲に決まって不安、なんかこれでよかったんかなって思ってる」と話していた。今日その話を3回ほど聞いていて、気になることがあったらずっと気になってしまうタイプなんだと改めて思った。「なんでそう思うの?」、「みんな知らない曲かもしれないから」、「知ってるか知らないかっていうのが判断基準になる?」、「うん」、「でもきみも部活の中で知らない曲吹くことだってあるし、吹いたら好きになる曲だってあるじゃん」、「うん」、「その曲私も好きだし、もっと曲の力を信じてみたら」、「うん」、「ていうか知らないから嫌だってそもそも実力不足だよそれは」、「うん」、などと話しているうちにどこで地雷を踏んだのか分からないけれど子は返事をしなくなった。なぜ私は「そうなんだね」の一言でやめられないのか。はあーーーーー子育てってむずかしいーーーーーーー私は子を肯定したい気持ちでいっぱいなんだけど、それすらもノイズになることがあるんだな、と思った。
12/3
仕事でイライラして上司と喧嘩しそうになったので自分の意見を引っ込める。この人と喧嘩してもまじで意味ないから!なんの解決もしないから!ていうか解決できることも解決できなくなるからやめよう。疲れている。子とグラコロを食べて帰った。最近まじで出費がやばい。でも止められないのでこのままいくしかない。朝も起きれないし、たぶん省エネというか冬眠モードなんだろう。
子が保健室の先生と話したくて職員室の前で待ってたら、話したことない先生に「保健室の先生は人気だから予約が必要なんだよ」と言われたらしい。保健室のおまいつなのに新規みたいな扱いされててワロタ
冷蔵庫が新しくなったので綺麗に使いたくて残り物を入れるタッパーを買った。少し小さめの冷蔵庫を買ったので、うまく収納しないと入らなくなってくるので、まずは入れる容器を似たような形とサイズで揃えることにした。入ってるものが把握できてるとすっきりするし、「そこに何が入ってるか分からない」というのは意外とストレスになるんだなと知る。とはいえ家にあるものを全部完全に把握することは難しい。「いっぱい入る」はうれしいけど、何が入ってるか分からないにも繋がっていくんだなとか。片付けって奥深いね〜〜〜〜
12/4
ITパスポート、もうやりたくねえ〜〜!!!と思いながらテキストを開ける。でも5点足りなかっただけだしなあ、もうちょっとで受かるかもしれないしなあ、なんか勉強の方法がもうよく分からない。前受けたときも見たことない問題ばっかりでビビっちゃったのもあって、でもそれって基礎固めがうまくいってないからでは……?とも思いつつ、過去問の見直しをしながら同じ分野では同じような問題ばっかり間違っててやっぱり分かってないところの傾向はあるし、ここができればもう少し点数が伸びるのだろうか、とも思ったり 慌てずゆっくりやろう、別に誰にも急かされてるわけじゃないんだから……ダラダラやる1時間より濃度の高い15分を目指そう……
子はFGOの終章に夢中で、最近学校に行きたくないが減っていたので、好きなものの力は偉大である。
年末に旅行に行く予定があって、しおりとか作って行程の見通しがあると子も安心するのだろうかと思い提案すると「計画が決まってて、もし計画通り進まなかったらそのことに苛々するから微妙かも……」と言われたのでやめておくことにした。
12/5
とかなんとか書いてたら朝から行きたくないが始まる。「クラスの中心の子がいじめなのかそうじゃないのか判断つかない言動を聞いていて苦しい」といっていた。はいこれ罰ゲームな〜とか、これやれよ〜みたいな、言い方がしんどいと言っていた。言われてる子はどんな感じなん?と聞いたらそれはわからん、と言っていて、子に対して自他境界の薄さは常々感じているけど、判断つかない言動をやってる側でも、言われてる側でもない第三者が悩む構造になってることがこちらもつらい。
めちゃくちゃ疲れたのでミスドを買って帰宅。子から引き続き話を聞くと、「グループワークが一番困る。どうやって輪に入ったらいいか分からない」「雑談が難しい。私は自分の好きなことだけを喋りたいけど、相手がどう思ってるか分からないから何を話せばいいのか分からない」と言っていて、めっちゃわかる〜〜〜〜となった。私もグループワーク苦手だったし、毎日同じ人と過ごすのが苦痛だった。ていうかグループワークじゃなくても勉強はできるし、毎日顔を合わせてたら喋ることがなくなるのが普通ではないか、たまにしか会わないから濃度の高い時間を過ごすことができるのではないか……?と思う。できるほうが才能だし、これができないからといって学校に行きづらくなる構造、どうなってるんだよ、挨拶できないとかのほうがよっぽど問題だと思うんだけど。色色調べていたところ、5年ほど前からアクティブラーニングを文科省が推奨していて、こういったグループワークの授業が多くなっているらしい。不登校の要因になってると指摘している人も見かけて、なんか小学校でもやたらそういう授業が増えてる感じはしていたけどこれのせいだったのか、と納得した。
そして子は小学校の時からこういうのが苦手で、休み時間は一人で静かに過ごしたくて場所を探していた気がする。中学に入って運よく保健室という居場所を見つけられたので、専門的なところに繋げていく流れになったけれど、そうでなかったらきっとそのままだったかもしれない、と思うとゾッとする。集団で見る子の姿と家で見る子の姿は全然ちがうので、親が全く困っていない場合、親だけの力で見つけることはむずかしい。家庭に私しかいないから、ある程度子の望む環境を作ることができてしまうし、医療に繋げるほどの困りごとはなかったから(成長過程で様子をみようと思っていた部分はいくつかあったにしろ)、なんか一人の人間が一人の人間の人生の基礎を作っているのかと思うと責任の重さに今更こわくなった。
夜はズートピアを見た。前も一緒に見たよ、と子に言われたけど全然記憶がなくて、とりあえずない記憶をあるということにした。