会うと度々、「お前には漫画家になってほしかったよ」と言う友人がいる。
その意図するところを聞いたことはない。
確かに、私は学生の頃にその手の気持ちがなかったわけではなく、ただそれ以上に漫画を描いたり、小説を書いたり、とにかく創作をすることが好きで、今に至るまでなんだかんだと休むことなくずっと何かしら手を動かしてきた。件の友人はそれなりの時間、それを見ていた。
それを職業にしようと思わないのは何故かといえば、シンプルに、私のような好きなだけで技術も取柄もない人間が食えるとも思えなかったからだ。そして、自分の「好き」の強度を信じていなかったことがあると思う。
10年前、Twitterに今ほど人がいなかった頃、食っていくことを考えるヒントは親と友人と就活サイトしかなかった。当たり前だが特に親の影響は強く、いわゆるサラリーマン家庭だった私はかなり安定志向が強かった。もうちょっと色んなところに交友関係を作り、色んな大人に話を聞いていれば少しは違ったかもしれないが、当時から今その時の目の前の関心事にしか目がいかない私は、地方大学の、特に世界を広げることに関心がない学生なりの考え方しか持っていなかった。
今、たくさんのクリエイターが「技術なんてやってりゃ嫌でも身につく。結局は好きであることが大事」という。なるほどと思う。社会人を10年もやってればその意味はなんとなくわかる。技術は必要だが、仕事として見れば、多くの場合それが全てではない。とびぬけて技術がある人というのはどの分野にも必ずいて、ただし、その人たちしか食えないほど今のクリエイティブ産業とその周辺の市場のパイは小さくない。つまりは「技術のみを頼りに好きなもんだけ書いて食う」みたいなことを目指さなければ何事もやりよう次第なわけで、そのやりようを地道に試行錯誤し続けていくモチベーションとして「好き」という感情は大事だ、という話なのだろう。
事実、私も比較的「好き」なジャンルで仕事を選んだ側で、技術も何もないところから始め、たぶん技術ではなく総合点で食っている。給料が発生しないのに仕事をするなんてもってのほかと思っているが、そういえば今の職種になってから、月30時間以上残業が発生する月であっても仕事が嫌だと思ったことは一度もない。そういうことなのだろう。
きっと、学生の頃の私は同じ言葉を見ても信じなかった。「技術なんて」も「好きであることが大事」も、結局はこの10年に裏打ちされている。
まあ、だからといって、今から漫画家を目指したいかと言われると、正直むずがゆいところがある。一生に一度くらいやってみてもいい、くらいの気持ちはなくはないが、自分の腕一本に命をかけるには自分の土台である読書と、本を読めるクリアな脳を維持するための睡眠と、あとは向後の憂いを断つ貯金が必要、なのかもしれない。
いや、それは何するにしても欲しいな。その為には転職だ。来年こそ頑張ります。