しょうもないことについていろいろと考えるのが好きだ。好きというか、性分だ。
脳内で意見を出し、それに対する反論をさらに脳内で出し、というのを繰り返している。
しかし考えを公開することはめったにない。そういうメディアにあまり触れていないのもあるし、公開して何も反応がないと寂しいというのもあるし、厳しい反論が来るのが嫌というのもあるからだ。
公開しなければ面倒は避けられるが、評価もされない。評価されないのはいいとして、考えが自己完結して凝り固まってしまうという問題がある。
別に凝り固まったところで困らないのだが、いろいろな話題について脳内討論を繰り返して、自分が「考えられる人」になった気でいると、何かのことで自分の考えを言ったり人の考えを聞いたときに、自分の考えが実は浅いということに気づかされることがある。
物事について理解を深めたい人は、考えを公開したり、他人の考えを本などの形で読むのだろう。
自分は理解を深めたいというよりは、自分なりの解を得たいという感じなのかもしれない。自分なりの解というと何か聞こえがいいが、ここで言っているのは単なる自己完結、自己満足という意味だ。結局それは無理解と偏見の塊だ。
それでも考えないよりはいいだろうか?