少しのほころびでも見つけちゃったらもう自分を騙せなくない?って話
気付かなければよかったのに、ほんの少しの……「正しくないこと」と言ってしまうとオーバーにも聞こえるのだけど……、ちょっとした〝ズレ〟といいますか、、そういうやつの処理の仕方、むずかしいよね
そのズレを許容出来る人も世の中にはたくさんいる。見て見ぬふり出来る人もいる。知っててやっちゃう(やれちゃう)ずるい人もいる。でもわたしはどうしてもそれが出来ない、つまりは要領が悪すぎる!
正々堂々なつもりなんてないけど、見なかったことにしたり、知ってたのに訂正出来なかったり、黙っている、という選択をしてしまったあとの〝自分〟がとにかくまあ地獄である
ずるいことしてる他人を見たってその人を低評価とするだけで終わるけど、自分が自分の正義(言葉が大袈裟ですけどね)を貫けなかったときの失望といったら!
不器用すぎるし燃費が悪すぎる。世渡りが下手なんだよなあ
でもわたしにとって、自分(つまりは信念というかアイデンティティというか)に失望することは本当につらく苦しく、何を持ってしても打ち消せぬ呵責なので、いくら燃費が悪かろうと人よりも手数が増えようと、人よりも傷付こうとも、自分の信ずる道を地道に行くしかないのだと思う
現世ではもうこれしか生きる道がないので諦めるとして、来世は要領良く楽天的に生きたぴ🥺
ちなみにわたしが好ましいなと思うやさしいみなさん、それからわたしの書く文を飽きずに見てくれてるタイプのみなさんは大体……似たような性質では?w
お互い苦労しますね、と、勝手に思っているのだけどどうでしょうか 雁字搦めになってはいないかしら わたしは書いて発散してるけど溜め込む人もいるでしょうね
直接的な話も聞けるなら聞くし、それより気分転換に推しの話をしたければいつでも歓迎するし、なにかあったときには声をかけてね
たぶんきっと大声で「わかる!!!!!!!!!!!!!」って言うよ