■ 5月9日
10:00:叔母から入電
10:30:当日中に旭川に向かうことを決定
17:30:羽田空港発
19:00:旭川空港着。初対面の福田さんご夫妻にお迎えに来ていただく
19:30:東旭川病院着。ほぼ亡くなっているも同然の父と面会
20:00:叔母・福田さんご夫妻、食事に外出
21:00:面会時間終了。叔母宅へ移動
■5月10日
7:00:起床
7:30:母に知的生涯を持つ妹への連絡方法について相談連絡(LINE)
8:45:郵便局の父の口座から葬儀代等を引き落とす
9:30:事故を起こした父損害保険関係の情報を共有・確認
損保ジャパン旭川支店の物損担当にご連絡
代理店業務をしている従兄弟の武口勇騎さんにご連絡
損保ジャパン人身担当の森永さんにご連絡
11:00:面会に訪問(2名限定、10分程度の制限)
昨日より意識は薄くなっている
父のスマートフォンと貴重品を病院から回収
病院で貴重品管理表をつくっているため、看護師に情報を共有
今後のスケジュール感の見通しを立てるのと、損害保険会社とのコミュニケーション指針をあらためて検討するため、看護師に依頼して父の容態を詳しく伺えるように依頼
11:30:妹に父の状況を連絡、旭川に来るかを確認
11:50:医師からの説明
〈医師から伺った情報〉
4月5日:旭川医大病院より東旭川病院へ移送
このタイミングでは、まだ意識があり全粥を経口摂取できていた
4月9日:痙攣・両目開眼・びくつき等の症状が見られる
MRI検査を行ったものの頭からの出血等は見られない
4月10日:誤嚥性肺炎、せん妄状態へ
4月中旬頃
内服薬は出していたものの、飲み込みが悪く止めてしまう
4月22日:このタイミングでは退院の見込みがまだあり。
医大側の検査でも頭には異常なし
5月7日:腕から点滴を開始、白血球も増えてくる
5月8日:意識状態が低下、薬を飲ませるも咽てしまい入らないため鼻からの吸引へ
5月9日:痰が詰まり一次呼吸ができない状態へ
5月10日:意識状態がさらに低下、血圧が低い状態で脈拍が100を切っておりいつ亡くなってもおかしくない状態
12:30:叔母宅へ帰宅。妹が11日に旭川に来ることが決定
〈問い〉
妹共々叔母の元にお世話になるか、一旦別で宿をとるか
妹の空港までの迎えをどのように行うか
13:00:父の部屋にて休憩・作業
14:30:外出
母に妹の状況の確認と、旭川に来てからの動きを相談
妹の到着時間が11日9:00頃と判明
15:30:叔母宅へ帰宅
叔母に、妹と一旦旭川に宿泊する形をとろうと思っている旨を相談
→ウチに泊まれと強く押されたため、あらためてお世話になることを決定
叔母から叔父に旭川空港への迎えを依頼していただく
病院に11日の面会の申し入れ。10時から2名で面会の許可をいただく
容態はいつ悪くなるかわからないから10日中には来られないかとの確認あり。
16:00:父の部屋よりメモの作成
17:00:各種情報の取りまとめを開始
生命保険(フコク生命)
→3年以内に申請すればOK ※相続資産対象外のため後送り
死亡時連絡先のリスト化
その他、状況整理資料の作成を進行
17:37:東旭川病院より入電
血圧が非常に低くなっており、なるべく早く来るようにと連絡
17:40:叔母が向かいのお宅に頼り、病院に車で移動できるよう手配
17:45:病院着
17:50:父の病室に入室
朝と比べて、酸素吸入の装置が拡充されている
手が冷たくなり始め、眼はさらに見開いている
面会時間は15分程度、10分ほど延長するが帰宅へ
帰り際、父は首を振っているように見えた
家族が来ると状況は持ち直すらしい
18:30:病院を退出、徒歩で叔母宅へ帰宅
19:15:夕食
20:00:風呂
21:10:そらに業務引継ぎ・契約について連絡
21:12:病院より入電。そらとの対話を打ち切り、病院の電話に出る。容態が急変したとのこと。
ドライヤー中の叔母に状況を共有、急いで着替えて家を出る
21:20:叔母宅より出発、徒歩で病院へ
道中、叔母から叔父に架電
21:32:病院に到着。
外側から父の病室だけ灯りが灯っているのが見える
21:36:叔父も合流。入室できるのが2名までとのことで一時待たされる。
21:38:病室に到着。既に機材は取り外され、機器は赤く光を放ってアラートを流し続けている
21:40:医師より臨終の宣告
叔父から事故に起因するところがないかの確認が入る
家族でのお別れの時間をとる
21:47:叔父があいプラン永山支所に連絡
祖母の積立金が残っている斎場に
21:51:あいプランより架電、叔父が当日の段取りをつける
23時に葬儀屋が病院に到着する見込み
叔母宅で一時預り、その後通夜・葬儀の流れへ
22:00:看護師にお礼を言って、一時叔母宅の準備へ
移動中に関係者に状況を連絡
叔父は、従兄弟に連絡
叔母は、福田さんに連絡
22:10:叔母宅に到着。
布団の準備
叔父が住職の手配
暫定で通夜・葬儀の実施日を設定(12-13日)
※第2友引の日は火葬場が休みとのこと
22:45:叔父と共に再度病院へ出発
22:50:病院に到着、待合室で葬儀屋を待つ
23:05:葬儀屋が病院に到着。
看護師の支援で霊安室に移動、葬儀屋への引き継ぎ
死亡診断書を受け取る
23:15:病院を出発し叔母宅に到着
従兄弟夫妻と福田さんご夫妻が到着している
23:20:父の搬入
神棚に半紙を貼る
布団の向きを調整(北枕に)
祭壇の設置
水:グラスに7割
お団子用皿:返って来ないとのこと
皿:??
(翌日に):ご飯を山盛りで
23:30:父への挨拶
身体を冷却する前に、父と対話しておく
蝋燭・線香等の意味合いが知りたい
23:40:葬儀屋から今後の手続きについて説明
翌日の流れは以下の通りに
8:30 叔父が叔母宅に到着
9:20 妹が旭川空港に到着
10:30 叔母宅にて住職と相談
11:30 斎場と相談
祭壇用の仏花を2点(16,500円ずつ)購入
23:45:葬儀屋退出
24:10:従兄弟夫妻退出
退出の際に叔母宅の鍵の在り処で叔父と従兄弟が揉める。懐かしい。
24:30:謎の手品士ムービーが流れ始める(世界一下手なマジシャン)
人の死への慣れ方の違いに驚きつつ、その場にいる
叔父が食事
父の遺影用に、昔撮った家族写真を使うことを決定。原本の写真を叔母に共有
25:10:叔父・福田さんご夫妻帰宅
25:30:一旦、今晩中のアレコレは終了。就寝へ
※翌日以降、メモの時間は暫くとれなくなるが、おいおい記憶を辿りまとめたい。