鬱がだいぶ来ていた時期に手違いで事務所の方に届いてしまったせいで、何人かギョッとさせてしまった人もいたかもしれない豆塚エリさん著の『しにたい気持ちが消えるまで』。
誰に向けてかよく分からない言い訳を書いておくと、twitterの信頼できる読み手の方々が何人も推していたので気になって買ってしまったのであって、特に「死のう」と思ったり生きることに悩んだりはしてなかったです。(この辺の感情と身体、思考の推移は絶対近い内にどこかしらかに残しておこうと思う。)
抑圧の中で「わたしらしさ」を求めていった豆塚さんが、それでも「しにたい」気持ちを溢れさせベランダから飛び降りる選択を迫られてしまった姿。
大人の勝手な期待や希望の押し付けが、人を殺し得るのだということをありありと感じさせてくれる本だった。
これだけ豊かな言葉を紡ぐ人でも(豊かな言葉を紡げる人だからこそ、かもしれないが)、高校時代に、閉じた世界の中で生きることに希望を見いだせず溢れ落ちてしまうんだ。
たとえ身体は死ななかったとしても、取り返しがつかないほど、その人を損ない、傷つけ、失わせてしまうことはある。
歳を重ねると、思っていたより自分で選択できるものは増えていく。
自分の選択で生きられるようになっていくに従って、世界は少しずつでも生きやすくなっていく。
けれど切実な痛みと孤独の底に居る時に、そう感じることは難しい。
「あなたの痛みはあなたのもの」という言葉の対岸で、豆塚はそんな「底」にも染み入るように寄り添ってくれるようだった。
大人が、自分の人生を楽しく生きること。
子どもが豊かに生きていくためにも本当に大切なことだと思う。
『誤魔化し誤魔化し、こっそり手抜きしつつ、一緒に生きていこう』
いつだって苦しいことは多いけれど。