「疲れてたから」
「進まなきゃいけないから」
「正しさの基準は変わるから」
自分を納得させたいだけの言葉がたくさんよぎる。
諦めなきゃ進めないし、抱え続けたら、きっともっと多くを失うんだろう。
けれど「取り溢した」感覚、「諦めた」事実は残る。
以前なら大切にしていただろう誰かの機微や感情を、
抱えてたら進めないから、脇に置いていく。
見えるものが変わったわけじゃなく、
感じられるモノが減ったわけでもない。
もっと大事にしなきゃいけないモノがあるからだ。
他に重視すべき基準があるからだ。
けれど置いていくのを決めたのは、他でもない自分で。
「大事にしたいと願った自分」から見たら、それも全部言い訳だ。
言い訳だということを、忘れないでおこう。
置き去りにした誰かの感情も、
手を差し伸べられなかった誰かのことも、忘れないでおこう。
それで誰が救われるわけでもないけれど。