教員は、子どもたちの可能性を誰よりも信じる存在であってほしいと思います。例えどんなに苦しくてもなお、教員の最も大切な仕事の一つは、子どもたちを信じること、信じ続けることであります。
長野県教育委員会でマイプロジェクトの事業を立ち上げられ、県の教育長を務められ3月で退任される内堀繁利先生のコメント。
あらためて教育という営みが持つ理想と、そこに立つ者として持っていたい意思が詰まっていて泣けるくらいに打たれる文章だ。。
そんな内堀先生が立ち上げられた事業を担わせていただけていることを誇りに、先生の思いを受け継いで丁寧に一人ひとりと向き合える教育の在り方に向けて。
あらためて歩みを進めていこう。
---以下、内堀先生のFacebook投稿より---
【次期教育長人事案合意と最後の議場答弁】
長野県議会は、去る2月29日(木)、次期教育長に、信濃教育会会長の武田育夫さんを充てる人事案に同意しました。
私は3月31日、任期満了により退任します。
今議会本会議においても、例に漏れず、教育委員会に対してたくさんの質問を頂戴しましたが、
自由民主党県議団の丸茂茂人議員からは、
◯子どもたちが未来に対して希望と期待を持って未来を切り拓くことを目指した長野県教育のあり方はどのようなものか、教育長に伺う。
新政策議員団の清水正康議員からは、
◯ 予測不可能な未来に向けた長野県教育の今後について、期待することを教育長に伺う。
という、長野県教育に関して自分の考えを述べる質問をいただき、このような機会が与えられたことに感謝しつつ答弁をしました。
県議会2月定例会は長く、今後も、委員会審査など、まだまだ続きますが、ここでは、議場で自分の考えを述べる最後の機会となった、清水議員への答弁を掲載します。
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長野県教育の今後について期待することというお尋ねでございます。
まず、子どもは、生まれながらにして、誰も侵すことのできない人権を持った存在であり、学校は、子どもたちの人権が尊重されるとともに、誰もが人権を持った存在であることをきちんと学べる場所であることが大切です。
また、子どもたちは、一人ひとり全く異なる特性、個性、能力を持った存在であり、学校は、子どもたち一人ひとりが、その違いや自分の興味関心に応じて学ぶことができる場所、それぞれが違いを持ち寄り、違いを生かした協働的な学びや活動ができる場所でなければならないと考えております。
さらに、子どもたちは、生まれながらにして、「学ぶ意欲」「知りたいという欲求」を持った存在であり、学校は、子どもたちには生まれながらにして学ぶ意欲があるのだという「子ども観」に立って、個性を伸ばすことに重きを置き、子どもたち一人ひとりの存在やいのちを 起点として、子どもたちが生来持っている学ぶ意欲や好奇心、探究心に火を灯し続ける場所でなければならないと考えております。
そのため、教員は、子どもたちを、年齢に関係なく、一個の人格として尊重し、一人ひとり異なる子どもたちの「今」を丸ごと肯定的に受け止め、子どもたち自身が伸びようとする方向に向けて、全力で伴走し、支援していくことが必要です。
世の中に完璧な人間は誰一人いません。不完全な存在である教員が、同じく不完全である子どもたちを、時には支え、時には見守り、時には伴走するためには、自身が生涯にわたって「途上にあること」を認識しながら、子どもたちと「ともに生きる」「ともに学ぶ」「ともに成長する」という姿勢が欠かせません。そして、子どもたちのために必要とあれば、それまでの自分の考え方や役割、教育手法を変えることを厭わないでほしいと思っています。
また、教員は、子どもたちの可能性を誰よりも信じる存在であってほしいと思います。例えどんなに苦しくてもなお、教員の最も大切な仕事の一つは、子どもたちを信じること、信じ続けることであります。
教育は、「今」を積み重ねた先にある「未来」を創造する営みです。未来とは希望であり、子どもたちが持つ可能性への期待と信頼であります。私たちは、対話的、協働的で、共創的な不断の取組を重ね、子どもたちが夢や希望や幸福感を持って生きられる社会、生き生きと主体的に学ぶ学校を創っていかねければなりません。教員を含めたすべての大人がそのような「覚悟」と「気概」を共有していくことが大事だと思います。
私たちは、これまで誰も経験したことのない時代や社会を生きています。いつの時代にあっても、またどのような社会にあっても、教育や学校がもつ力を、私は信じています。宮沢賢治は、『農民芸術概論綱要』の中で、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と、自他の関係、個と集団の関係を喝破しています。
長野県教育が、青く澄み渡る空のように、希望や感動に溢れ、多様な個人が、誰一人取り残されることなく、それぞれの幸せや生きがいを実感し、地域や社会も豊かで持続可能なものになっていく「個人と社会のウェルビーイング」を実現する未来を、心から願っています。 (終)