寄り添うこと、味方でいること。(通勤の道すがら)

stake5
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「どうせ誰も絶対的な味方じゃいてくれない」「わたしには味方がいない」

こう話してくれる人に、どうやって力になれると良いんだろう?

そんな相談をもらった。

不安を背負った人と対話するとき、よく意識するのは『自分がどういった考えで、どの視点から相手に接しているかを伝えること』だ。


「味方でいる」ってどういうことだろう?

 

あなたの力になりたい

あなたに周りと良い関係を築いて欲しい

あなたに幸せに生きていって欲しい

 

そんな願いを持って言葉を紡ごうと思うとき、きっと「"あなた"の視点からモノを見ること」だけが味方の在り方じゃない。

 

けれど"あなた"の視点から"わたし"が考えていることは見えないから。

不安になってしまう。疑ってしまう。

 

だからこそ、ちゃんと伝えること。

 

「"わたし"は、あなたの力になりたいと思っているよ」、と。

「でも、もしかするとあなたが欲しい言葉とは違うことを言うかもしれない。

 

聞きたくないことを言うかもしれない。それはあなたほど、"あなた"のコトを知らないから。

そしてあなたには、どうしても見えない何かが外からなら見えるかもしれないから。

 

違うと思ったら言って欲しい。

わたしも、"わたし"から見えることを伝えるから。」

そんな風に。


 感情に寄り添うコトは大事だけれど、それだけが全てじゃない。

お互いの見えているコトを共有して、相手にその行き先を委ねられること。

それが本当に「寄り添う」ってこと何じゃないかな。