初めに警告します。
私がここに残すのは、あくまで自分の主観での考え。この文章を読むと、もしかしたら心が苦しくなる人もいるかもしれません。
私がここに文章を残すのは、自分を鼓舞するため。そして、ほんの僅かな、偶然考えが合うような人の、小さな支えになれたらいいなと期待を込めてのことです。
私は、かつて自分の生きる意味について思い悩んだことがありました。
病気がちで、頭も悪くて、顔も性格も平均以下。学校にも仕事にも行かず、家でただ横になっているだけ。そんな私は、社会の荷物だし、家庭の金食い虫だと。
こんな人間が生きる意味は、生きていい意味はどこにあるのか。ひたすらに悩み、考えたことがありました。
ひたすらひたすら悩み続け、一つの結論を見つけ出しました。
生きる意味なんて、ないと。
生きることに意味もなければ、価値もない。それが私の答えでした。
今この瞬間も、遠い遠い国で誰かが死んでいます。でも、私たちはそれが誰なのか、彼らにどんな人生があったのか、分かりません。彼らが亡くなったことで、私たちの日常にどんな変化が起こるかと聞かれても、答えることができません。
所詮、人間とはそんなもの。誰かが消えても、世界は変わらず回り続けます。誰かがいなくなっても、太陽は変わらず昇ります。その「誰か」が私であっても、あなたであっても、同じことです。
生きる意味なんてない。人生に価値なんてない。
それは、嘆き悲しむ必要のあることでもない。当たり前で、平等な事なのだと、私は考えました。
それでも、人は苦しい時に、自分の価値や意味を求めてしまうものです。
そこで、私はある事を考えました。
「無意味」というのは、言い換えれば「『意味がない』を持っている」と言えるのではないだろうか?と。
例えるなら、真っ白なキャンバスを持っているような状態なのではないだろうか、と。
生きる意味がないなら、自分で作ってしまえばいい。
生まれてきた理由が分からないなら、自分で決めてしまえばいい。
例えばそれが、推しのライブでも構わない。最近見つけた、美味しそうなレストランに行くことでも構わない。特に意味もないけど、ただ生きたいから生き続ける……というものでも、構わない。
私は、そんな答えを見つけ出しました。
人は皆、「人生」という名のまっさらなキャンバスを持たされて生まれてくる。
それに何を描こうが、描くまいが、自由だ。まっさらだろうと、何色だろうと、誰にも文句を言う筋合いはない。
そんな考えを、私は持つようになりました。
だから。あなたも、自由でいいのです。
きっとすぐには見つけられないでしょう。でも、焦らなくて大丈夫。
真っ白なまま生きている人も少なくない中、真っ白であることに疑問を抱き、そこに価値や意味を求めはじめたあなたは、きっと人生を素晴らしいものにできることでしょう。
でも、どうか忘れないで。「真っ白なままでもいいや」というのも、一つの答えです。人生はとても長いです。すぐに形にできないのも、当然のこと。大丈夫。焦らなくて、大丈夫です。
ゆっくり、ゆっくり、自分のペースで。
それが、楽に生きていくコツなのかなと、私は思います。
あなたがこれを読んで、どう思ったか……私には分かりませんが、何か少しでも力になれていたら嬉しいなと、僭越ながらそう思います。
読んでくれてありがとう。
世界のどこかで、あなたを応援しています。