骨折体験談

甘いの
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あれは小6の冬だった。あまりにも寒かったその日、私は長ズボンを履いた状態で体育の授業を受けていた。当時半袖短パンが健康と強さの証であると思い込んでいた私は、この日初めて長ズボンを履いた。もうすぐ卒業するのに一度も使わないのはもったいないかなと思ったのである。

その日は跳び箱の授業を受けていた。正直嫌だった。3段飛ぶのでやっとだったし、名前も覚えていないがなんかいくつか存在していたとんでもない飛び方など当然できなかった。背が小さい事を言い訳とさせてほしい。

それはさておき。当時全力少女だった私は、それでも果敢に跳び箱に挑んでいた。走っても大して早くないのに必死になって走り、その勢いを全く活かせないまま跳び続けていた。「アメトーク」の「運動神経悪い芸人」顔負けの運動音痴っぷりである。それでも深く集中していたので、予想外の出来事に見舞われれば大層驚くものである。

突然体育館の入り口に、別の体育教員が現れた。ちょうど私が飛ぼうとしていた瞬間である。その教員は怒るとかなり怖いので、下手くそな跳びっぷりを見せては「やる気がないのか」と叱られるのではないかと恐怖した。恐怖し、落ち着くために一旦止まろうとした。それが間違いだった。

慣れない長ズボン。突然の集中の乱れ。全速力。それらの足し算は最悪な結果をもたらした。私は長ズボンの裾を思いっきり踏み、そのままの勢いで転倒、スライドして……踏み台の角に、凄まじい勢いでくるぶしをぶつけたのである。

〜絶対骨折れたのに全然信じてもらえない件〜

めちゃくちゃ痛い。人生で1番痛い。私は床に転がって歯を食いしばり必死に耐えていた。周りは大笑い。当然だ、当時私は「お笑い係」という謎のクラスの係についていたので、身体を張ったギャグを披露したのだとみんな信じてやまなかったのである。入り口の体育教員も大笑い。こけたの半分はあんたのせいだぞ。笑うな。しかししばらく経っても一向に立ち上がらない私を見て、クラスの1番大きい女子が私をおぶって保健室まで運んでくれた。ありがとう……この恩は一生忘れない。

しばらくして母が迎えにきたが、「折れてる!折れてる!」と喚く私を、保健室の教員も母も「大袈裟な」と笑った。まあ足が腫れていなかったので折れたようには見えなかったのだろうが、本当に死ぬほど痛かったので私は彼女たちを心の中で恨んだ。笑ってんじゃないわよ。こっちはマジで人生最大の痛み味わってるのよ。絶対折れてっからこれ。「まあ一応病院に行って検査を受けておいで、それで納得するから」という形で、私と母は帰らされた。いや納得しない、絶対折れてる。マジで。これで折れてなかったら骨折ってどんだけ地獄の痛み伴うんだ。頼むからこれで折れててくれ。怖すぎる。

学校を出て車に乗り、家に帰り、病院に向かう。それら全てを私は歩いてこなした。本当に痛かった。クソ痛かった。病院がものすごく近いのでよかったがマジでほんとクソ痛かった。泣いた。めちゃくちゃ泣いた。そして病室につく。レントゲンを撮る。診察室に呼ばれる。

🧑‍⚕️「折れてますね。」

折れてんじゃねえか!!!

なにが大袈裟だ!!!しっかり折れてんじゃねえか!!!クソ痛えわけだ!!!よかった折れてて!!!これで「捻挫ですね」とか言われたら骨折が死ぬほど恐ろしくなるところだった!!!よかった折れてて!!!

いやよくねえよ折れてんだよ!!!!

どうすんだこれから!!卒業式控えてる時期に!!!馬鹿みたいな骨折して!!!……いや、でも聞いた事がある。折れた部位によっては治りが早いらしい。まだ三学期も始まったばかりだ、もしかしたら……

🧑‍⚕️「全治三ヶ月くらいかと思います」

終わった……

〜骨折中の過ごし方〜

「どうしたらこんな折れ方するんですか?大型トラックに轢かれた以外でこんな折れ方見たことありません」と医者に言われ、「私の突進大型トラック並みってことか、草」と思いながら帰宅。とりあえず固定してもらい、松葉杖をついて翌日元気に学校へ向かった。

車から松葉杖をついて降りると、教員一同顔色が変わった。特に保健教員。「折れてましたぁ☆」なんて軽く母が告げると、彼女は大慌てで謝ってきた。あまりにも謝るものだから私も萎縮してしまい、彼女への怒りとかそんなものはさっぱりなくなってしまった。……そもそも折れていた事が結構面白くなってきて、怒りとかいうのはほとんどどうでもよくなっていたのだが。

「歩けますよ〜」とは何度か言ったのだが、まあ折り方も折り方だ。校内でもクソ運動神経が悪い事で名高い私だ。まともに歩けるのか心配した担任が私を滑車付きの椅子に乗せ(車椅子はすぐに出せる状況になかった)、ゴロゴロと教室まで運んでくれた。……教室前まで行った時、異様な姿で運ばれてきた私を見たあの同級生の顔が今でも忘れられない。びっくりさせてごめんね。

教室に入ると、これまた同級生たちも大騒ぎ。ただでさえドジな私を心配して、彼らは私の世話をあれこれ焼いてくれた。当の本人は「いぇーい松葉杖マシンガーンどどどど」とかやって遊んでいたのだが。馬鹿か。

まあそんなこんなで、生活にはあまり困らなかった。同級生たちが代わる代わる私の面倒を見てくれるし、送り迎えは母がしてくれる。しまいには雪が降った日は校長先生が私のために雪かきまでしてくれて、学校中が私を見守ってくれていた。

それで、当時能天気で馬鹿だった私は思った。

骨折ってめちゃくちゃ楽しい!!と。

…………とまあここまで書いてきたが、私はもう全力少女ではない。飽きてきた。まだ1時間くらいしか書いていないが疲れてきた。

この後のこともいろいろあるのだが、ぶっちゃけそんなに面白くもないのでここで締めることにする。やる気になったらまた続きを書こう。やる気になったら。

@starrynight
世界のどこかで、ひっそりと生きています。