『オッペンハイマー』以前と以後

佐和
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 先週、『オッペンハイマー』を観てきたのだが、自分の中ではこれを観る以前・以後が明確に分かれたなと感じた。作劇(手法)、音楽、呵責、そして爆炎。別にノーランと自分を比較する訳ではないが、これらの要素は自作や自身の人生においても欠かせなく、都度表出するモチーフである。今までの自分は曖昧模糊としたそれらを何とかかたちにしようと足掻いてきた。だが、『オッペンハイマー』にて力強い輪郭を持ったかたちとしてそれを見せられた今、もう以前の曖昧模糊とした生ぬるさには戻れない。人生や創作に対するハードルが上がりきって途方に暮れているとも言う。ノーランは何というものを作り上げ、そして提示したのだろう。ハードルの向こうに佇むノーランは無形の核爆弾をこちらの脳内に落としたのだ。灼かれた。

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