もう少しだけ歩を進めると、引き返せなくなる地点というものは確実にある。さかしらぶった大人の人たちは冷笑気味に、或いは予定調和でも奏でるように、「ならその寸前で止まればいいではないか」と、まるで口裏を合わせているかのように言う。
それは想像力や共感力の欠如だ。往々にして気が付けば踏み越えている地点を見極め、勇み足を止め、はやる心を抑えつつ、機械のように止まれる人間など一体地球上に何人居ると言うのだろう。
元日に映画『PERFECT DAYS』を観てきた。役所広司がとても可愛く撮られていた……というのはよそ行きの感想で、その実は「引き返せなくなる地点の寸前で止まり続けていた理想的な偶像」を眺める映画だと感じた。致命的な失敗を犯すこと無く、淡々と、しかし木漏れ日のように変わり続ける毎日を過ごす男性の物語だ。パーフェクト・デイズ。完全な日々。きっとそれは完全で理想的な日常なのだろう。何せ失敗をしない(=後戻りできなくなる前にちゃんと回れ右をしている)上に、ボロい賃貸に住まい東京のトイレ清掃員に落ち着いてる我が身すらをも全肯定しているのだ。その身の上は決して「失敗」としては描かれていない。
人生には色々な「もう引き返せない地点」はある。たっかいマイホームを買った時点であるとか、ノワールな話をしてしまえば人を殺めてしまった瞬間であるとか、思い当たる情景も人により様々だろう。特定のコンテンツにハマり、沼に時間と金銭を溶かしまくってしまったなどでもいい。そして自分は『PERFECT DAYS』を観た日を区切りに「もう引き返せないなあ」と漠然と感じてしまった。危険区域の寸前で、ピタッと止まり続ける男の物語を見せられたら、ムッとなってどんどんと進んでやろうと熱くなる程度の人間性はまだ残っている。