「構想」→「ネタ」→「実行」のハードル

佐和
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 何事にせよ「構想」というものは割と簡単に、漠然とでも思い浮かぶものだ。次に「ネタ」。これは少し目と頭をこらして探さないと手に入らない。最後に「実行」。これが一番難しい。やりたいことはあるんだけど動くのが億劫、書きたいものはあるんだけど書くのが面倒くさい。そうした経験がある方は多いように感じる。

 では、いざ「実行」するパートの何がそんなに億劫で面倒くさくて気鬱なのだろうか。それはひとえに「地味な作業を強いられる!」という先入観と偏見に基づくものなのだろうと思う。例えば「ギターを弾きたい」「ギターを買う」「実際に弾いてみる」の段階を踏むに当たっては、「ギターを弾きたい」と思っているときは脳内で夢と物欲が渦巻いており、特に疲れるようなことも無い。そして「ギターを買う」のも実店舗やネットなどでチョイスしたり検索して調べたりと少しの手間はかかるものの、やはりまだ頭で考えるだけの割合が多いので比較的楽だ。そして最終目的である「実際に弾いてみる」。ここで多くの趣味人は挫折する。運指の練習、コードを覚える、TAB譜以外のスコアも読めるように勉強、などなど、行動を伴わないとギターはウンともスンとも鳴らないし、鳴ったとしても「ヴォエー」と意味不明な怪鳥音を奏でるだけだ。

 だが、最終段階である「実行」こそが楽しいという人も居る。ギターを弾いているときに自己の努力の積み重ねを脳内で反芻したり、資料読みと構想を終えて小説を書いている途中にタイプする指が止まらなくなる人々だ。最終パートである「実行」が楽しい分野こそ本当に好きなものだ……とも断言はできないが、少なくとも自分に向いている分野だとは思う。最近は脳内の駄文のアウトプットを実行するのが本当に楽しい。

@steelbook
小説を書いたりしています mypage.syosetu.com/2595567