集光

stilletid
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 レンズの焦点距離は無限遠からきた光が一点にあつまる距離をいう。

 この世界のどこから来た光でも、それが十分遠ければその距離にあつまる。より近くにから来た光はその焦点距離よりも近い場所に集光する。集光する場所にフィルムをおけば平成初期に一世を風靡した写ルンですにもなるし、センサーを置けば最新のデジタルミラーレス一眼にもなる。もちろん白い紙を置いてもいい。そこには確かに像が映るのだ。レンズはそれ自身を見ても何の模様も見えないが、その奥に鮮明にかつ印象的に像を映す。

 像を写す特性はまた、像を映さない特性も同時にもつことになる。撮像媒体が置かれている場所が焦点距離ではない場所から来た光は像を映さない。そもそもレンズは像を転写するために作られたので像が映らないことは元来的には不便な機能と言える。しかし現代の人々はしきりに像がうまく写っていない領域をほしがる。これはボケと言われる。何も写ってない場所があることで、撮影者が写したいと思っている被写体が浮き上がる。それは、実際には時間軸のある時空から時間を取り去り現実に見えるが本当の現実とは言えない一瞬を切り取る表現を手にした我々にとって、偶然にも、実際にはボケをほとんど生まない人間の目に大きなボケを与えるというこれまた現実に見えるが本物の現実とは言えない表現も同時に人間に与えた。インターネットによって高品質で安価なあらゆる画像素材が手に入る時代になっても、カメラを持ち出しそれぞれの瞬間を切り取る人がまったく減らないのはそんな事情もあってのことだろう。

 映すものと映さないもの。

 はっきりすることとはっきりしないこと。

 完全と不完全。

 

 我々人間はそういったものの共存を良くも悪くも愛してやまない。

@stilletid
からに被ってない面倒な部分を。