久しぶりに会った高校時代の友人に「彼が好きになりそうな女の子って趣味彼氏!って感じの子だし,お似合いなんじゃないかな」と伝えたら,さすがだねと言語化能力をほめられた。
「趣味彼氏ちゃん」は,彼氏くんのことが大好きすぎてプライベートの時間はすべて彼氏に捧げるような女の子のことを指す。無趣味だったり恋愛脳だったりする場合が多くて,依存気質なこともある。
そんな私はといえばTwitterを見ている人はご存知のとおりかもしれないけれど,どうやら世間的には「多趣味」と呼ばれる部類に入るらしい。ぱっと思いつくだけでも料理,ロードバイク,旅行,登山,ランニングあたりが私の趣味になるだろうか。趣味彼女くんではない私は「私よりも趣味が最優先なのかなと感じました」という理由で振られたこともある。
生活のすべてを恋人優先にする,的な考え方は今も私には合わないな,と感じる。恋人と過ごす時間も,友だちと過ごす時間も,ひとりで黙々と打ち込む時間も,私にとってはどれも同じように大切な時間だし,それが私自身を形作っている。そこに優先順位はないような気がするんだけれど,みんなそうではないんだよ,と諭されたこともある。
「四六時中一緒にいたくないってことは,私のことが好きじゃないの?」と言われたこともある。もちろんそんなことはなくて,むしろ好きなんだけれど,私にとっては好きだからといってずっと一緒にいたいかというと,それはまた別の問題なのだった。ひとりで暮らす期間が長すぎたのか,自分以外の人間と長く一緒にいすぎるとなんとなく,ひとりになりたくなる。
結局のところ恋人になにを求めているのだろう。恋人になにを与えられるのだろう。そんなことを数年もだもだ考えているうちに,こんなことになってしまった。私があなたのことを大好きで,あなたも私のことを大好きで,だったらずっと一緒にいよう。そんな関係になるのが怖いのかもしれない。相手を全力で愛して,相手に全力で愛される自信がないのかもしれない。
死ぬほど結婚したいわけでもないし,死ぬほどさみしいわけでもない。けれどこのまま多趣味をやっていると,きっと10年後も同じことをしているだろうな,という漠然とした不安とか危機感みたいなものがある。この世界はひとりでも問題なく暮らしていけてしまうし,ふつうにしていたら死なないだろう。
結婚はしたことないからしてみたいし,子育てもしたことないからしてみたい。それは憧れとか夢みたいなものでもあるけれど。そんなことを,どうしようもないくらい彼氏くんのことを大好きな「趣味彼氏ちゃん」のことを思い出しながら考えた。