記号にでもついて書こうかと思う。さて、アナタは勝ち組?それとも負け組?と問われたら、なんと答えるだろうか?その理由はなんだろうか?単純にパートナーがいるとかそういうことだろう、おそらく。それが勝ち負けを決める要因であるのであれば、非常に視野が狭い判断基準だ。
つまりパートナーがいるか、いないかという1か0、もしくは◯か✕の記号でしか相手のことを考えてないことと同義だ。いないから記号が欲しいというのも、いるから記号があるというのも何かおかしな話だ。多分、そんな人は相手からもそういった扱いをされても仕方がないと考えるべきだろう。
良い/悪いで評価しがちな世の中であるというのは前提としてあるだろうが。その中に自分自身がダイブすることは正しいのだろうか?と考えてみてほしい。申し訳ないが、若いカップルが街を闊歩していても僕はいつかは、終わるのだろうなと冷ややかな思いしか浮かばない。そう考える自分は間違いなく負けの部類に入るだろう。
なにか、ゴールが透けて見えてしまう。「本日から、パートナーです」の瞬間が頂であって、あとは下るような関係性になってしまうことを無碍だと思ってしまう。なのに、外には記号として見せつけるなんとも滑稽なのだ。
相手をブランド化して、それを持って歩く自分は価値のある人間だ。逆に何も持たない自分は価値がない人間だ。そんな見方は何の役にも立たない。君は今すぐに、その偽物のブランド品を捨てて誰の目も気にすることなく自由に街を歩いて欲しい。
そして、はじめの質問にこう答えてほしい。
「アナタのパートナーになったら勝ち組になれますか?」と。