当然ながら。今見えている現実がリアルだとは限らない。自分が一番信用する数字、つまり客観的な事実ですら、ときに嘘を付くから、本当なんてどこにもない。
それが見えないことによる弊害を恨んだって仕方がない。なぜならば、リアルなんてどこにもないからだ。真実も事実も探せば探すほど、闇に紛れ込んでしまう。だから、人はよく言う。1次情報を当たれと。
これを自分にあてはめると、この1次情報を話す場合と、話さない場合がある。特に自分の情報を話すことはない。誰にも得はないし、誰も知りたいと思わないからだ。仮に知りたいと思ってくれたとしても話すことはない。勝手に想像して、勝手にイメージを付けてくれたらいい、文句も否定も言わないから。
パーソナルな1次情報を手に入れたとして、どう扱うのかは気になる。それはなにか貴重なのだろうか。その人が途端になにかに見えたりするのだろうか。かなり不思議だ。誰だって1年に1回、年を経て、いつかは死んでいく。その途中に、何かがある程度の話。
とっくに人生の残り時間を諦めかけている自分にとって、他人の1次情報よりも、今日のビジネスにまつわる数字の方がよほど、大切なのだ。と書いた瞬間に気づいてしまった。あ、だからワイドショーみたいな何の役にも立たない番組が成立するのかと。
人間はあまりにも他人に対して興味を持ちすぎなのである。なぜならば、自分の位置を知っておきたいからだ。あらゆることに当てはまるこの一言に対して、僕はレースから離脱しているので通り過ぎる人を観客席で眺めているのだ。
さ、今日はどんなリアルに絶望しようか。