連絡をとりたい相手が常にいるか?と問われると明らかに”No”だ。というか、互いに気軽に取ればいいし、特定の誰かと毎日連絡取りたいと思っていたのは多分、高校生の時くらい。なんだか、面倒くさい世の中になったもんだと。
携帯がなかった頃、女の子の家に電話をするときのドキドキなんて今や若者には理解できないだろうし、いつでもどこでも繋がれる事自体が逆に不便だとさえ思える。結局、そういった相手を記号としてしか見てないのではないかと。記号論みたいなことを考えたことがある、彼氏・彼女って結局1つの記号であって、それを見せびらかしたいがための記号や飾りでしかないと。記号の存在 =自分は素晴らしい的な、一種の自己承認欲求だと。それが肥大した現代はSNSがその役割を担ってるんだろうけど。
で、去年だれと一番連絡取ったか?と問われると調べるまでもない。速攻で答えがでる。同い年でウイスキー好きのオジサンだ。この店が安かったぞ!この通販サイトで安いぞ!こんな店がオープンしたらしい、と話の9割がウイスキーにまつわる。実にロクでもない内容だ。
気軽なコミュニケーションとはこういうことを指すのではないだろうか。もうすっかりドキドキすら忘れてしまった自分にとっては、半年に1回くらいしか飲みに行かないのに、いつも通りのテンションで飲んで楽しめる仲間とゆるりとアホみたいなコミュニケーションを薄く、長くとっては、ロクデモナイ会話を内輪で楽しめればいいと。
だから酔いどれで老いぼれなんだけども。