デジタルは誰にとっても優しく、そして便利なものでありたいと思う。そういった仕事の一片を担ってる人間としては、常に使ってくれるユーザーの為に、サイトやアプリはどうあるべきかを考えていたりする。「誰にとっても」の定義をするならば、オカンが初見で理解できるか?操作できるか?だと思っている。・・・実際にこれどうだ?とオカンに見せたことはないんだけど。
週末の恒例行事にコンビニのコーヒーは欠かせない。散歩のコースもある程度固定されると途中で寄るコンビニも自ずと決まってしまう。いつの間にか100円から120円に値上がったコーヒーもそれ以上の価値を享受していると考え、目を瞑っていつも購入している。にしても20%の値上げって結構で、当然だが給料は20%あがることはこの先、一生ないと思う。どうでも良いが、どんなに暑くなろうが、僕はホットコーヒーを頼む。下らないこだわりと、カラダへのいたわりだ。
と、いつものコンビニでコーヒーのカップをもらって、マシーンが淹れている途中で隣から声が聞こえた。「すみません」と僕よりも少し年を召した女性が話しかけている。周りに自分しかおらず、慌てて耳にしていたイヤホンを外した。写真をコピーしたいのだが、分からないから教えてほしいと。
グラサン、ロン毛、でっけーイヤホンして見るからに近寄り難い自分に対して良く声かけたなあと関心しつつ、コピー機の前に立った。女性はコピーしたい写真をアプリで登録したが、その先が分からないと。QRコードをどこにかざせば良いのか分からないという状態だった。自分もやったことがなかったので、グラサンを外しコピー機の説明を読んでみる。しばらく操作してみる。なるほど、最初でつまづいたのかと気付く。そしてコピーできる状態まで画面遷移させて、お金入れたらコピーできますよと言ってあとは任せた。
女性はお礼を繰り返した。大したことしてないし、でも良いことをしたと思っていいかと、その場をあとにした。
女性が悪いわけではなくコピー機に書かれた説明が悪いような気がした。なぜなら、最初でつまづくような案内をしている方が悪いのだから。もう少しUI(ユーザーインターフェース)、見た目だったりデザイン的な案内だったりを伝わる言葉で、伝わるデザインで表示されていたらきっとあの女性も、声すらかけたくない怖そうなオジサンに勇気を振り絞る必要もなかったはずだ。ある意味では、女性は被害者だ。自分みたいな人間に話しかけなくちゃいけない状況に陥られたのだから。でも、それでもどうしてもコピーしたい写真だったはずだ。僕はその写真を見なかったけど、きっとその人にとってはとても大事な写真だったはずだ。
と、外に出てしばらくして「あ、コーヒー忘れた」と店に戻って見てみると、行き場を失ってどこにも行けないコーヒーカップがそこにはあった。「あ、良かった」と思って手にしたコーヒーは暖かった。
でも、女性はもうその場所にはいなかった。