時間効率

stupid
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近頃よくみかけるショート動画(いや、もう古いのかもしれない)。オジサンも見るんだが、どうして「タイパ」と言われるようになったのか、よく分かった気がする。

起承転結が異様に短くなって起承結になってたり起結になってたり、そうなることで単純にストーリーが簡潔する。どうやら、これが良いらしい。簡潔に、簡素に、なるべく結論を早く、そんな空気が漂うのがこのショート動画にはするのだ。

結論を急ぐことが、時間を短くして結論にたどり着くことがそこまで魅力的に見えるのはなぜなのだろうか。間違いなく、情報化社会が与える悪影響の部分ではないかと思う。コンテンツの消費スピードが恐ろしく早くなり、回転率が上がる。そうなると、常に新しいモノ、新鮮なモノが求められる、対して見られもしないのに。それでも情報は流れていくので、ついていくためには新しいコンテンツを出し続けなければいけなくなる。

きちんと深く読み取ってくれるのだろうか、意図が伝わっているのだろうか、結構不思議になる。時間効率を求めて、結局中身を見てもらうことができなかったコンテンツは世の中に生まれ、そして誰も知らない闇へと葬り去られてしまうのではないかと危惧する。

生みの苦しみを受け取り手は、そこまで深く考えず享受している気がしてならない。結局は中身が空洞な、空虚な時間だけが過ぎたことになる。受け取り手は心が動くヒマもなく、次のコンテンツへと移る。それは言わばコンテンツマヒ状態だ。

少しだけ、考えてほしい。君の人生そのものをタイパしたいか?と。だったら、結末は「死」しかない。起承転結が必要ないならば、すべて向かう先の「結」は死になる。それで時間効率が良いとなるのだろうか。

全ては死に向かう。しかし、味があるのはその途中なのではないか。人生に「転」があるから色が添えられるのではないだろうか。そこをショートカットして、「時間効率」というのであれば、すべては0になるように思う。

ショートカットや近道は良いのかもしれない。でもつまづき、遠回りすることこそ、人生の醍醐味ではないだろうか。そして、思ったより人生は長い。近道して結論を急ぐことよりも、遠回りしていつか点と点がつながるような生き方をしても良いのではないか。画面を指でスワイプするよりも、足と耳と目を使ってじっくり周囲を見渡して生きることも豊かな時間として、時間効率は良いと思えるのだけどね。

@stupid
日々の戯れ言。