雪が溶けた水が屋根から滴り落ちたせいで、地面に形成した水たまりは雲ひとつない青空を鏡のように映し出していた。風は緩やかで日差しは穏やかだった。2日前に雪が降り積もった光景とは思えないほど、静かで落ち着いていた。
いつもと同じ道を散歩してみるものの、少しだけ景色が違うことを楽しむ。雪が残していった足跡が消えた部分と消えていない部分を見分けるようにして、見渡す。迷子になってしまった子供のように。当然ながら、残った雪たちは生活において今のところ必要のない場所に移動させられる。言うならば、人間の日常において”邪魔”なのだ。
まるで、自分みたいだなと投影する。自分の存在や仕事は必要とはされていない。端にどかされた雪の如く静かに息をし、生きている。そいつらを見ているとそんなことを思う。光があれば影もある。決して光を目指す訳でもなく、密かに息を潜め静かに、ただ静かに機会を伺う。まるで小さな夜行性動物のように。
必要とするもの、必要とされないもの。どちらも存在するが、なぜか必要とされないもののほうが、裕福になっていたりする。社会を見渡せばそんなことばかりだ。例えばキャベツを生産することに多大なる研究と研鑽と努力と時間を要しているのに、目の前で1つ買うと200円もしない価格で買うことができる。一方で月に2回、2時間話すだけで5万円を手にする人間もいる。社会的にこれが必要なのかと、いつも疑問に思いながら。
残された、望まなかったかもしれない日陰に追いやられた雪たちは、どんな気持ちでそこにいるのだろうか。いつしか誰かの役に立ち、誰かに喜ばれるのだろうか。暗澹たる気持ちになりつつも、その場を後にした。
風はまだ緩やかで、時間を刻んでいた。