流行

stupid
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30を過ぎたあたりから、ファッション対する考え方がガラリと変わった。それまでは、白シャツにラインの細いパンツと革靴を履いていた。俗にいうところのキレイめで、ラインナップしていた。そもそも背が低く、筋肉質でもないので全体が細く見えるシルエットを目指しコーディネートすることを意識し、なんとなくそれっぽく見えればいいや、と思っていた。

そんな人間が閾値を超えると、なんでもいいかとなってしまった。いかにしてラクに着るか、着心地が良いか、動く際に煩わしくないかと機能的な部分を重視するようになった。つまりパーカーやスウェットを着る回数が増えた。日常的に日曜日のオジサンを着回す、ファッションには無頓着な人間が出来上がってしまった。

中身のどれを漁っても魅力的な部分がないから、ひた隠しにしようとそれまで、それらしく見えるようにと外見を頑張っていたのに・・・何故か?急に面倒くなったからである。別にこんなん着ててもどうせ中身はバレるしなと。昔の人は言いました、「ボロは着てても心は錦」と。どちらもみすぼらしい人間にとっては、「それなりを装って着てても心はボロ」な訳ですが、それすらも諦めたオジサンは「全部がボロ」、救いようがない人間の出来上がりです。

で、特に何も変化がなくただただ窮屈な感じがなくなり、快適なのである。ファッションとは我慢とか、聞いたことあるが本当にそうだなと思う。外見を気にすることは、若さであり、それこそがファッションなのである。

20代、Gパンを買う時はレディースサイズを選んでたのに、今クローゼットにはスウェットが並び、シャツはパーカーに変わった。都内に出て洋服を買う行為すら、10年以上行ってない。「ボロは着てても酒は錦」、それでいい気がしてる。

@stupid
日々の戯れ言。