引き際

stupid
·

やりたいことが沢山あるし、これからの自分にワクワクしかないと10年勤めあげたツラい過去を吹っ切るように締めの言葉を紡いだ。引き際は自分で決めると、いつまでもシガミツクのは格好が良いモノではないと、簡単にはできないことをサラっとやってのけた。

立つ鳥跡を濁さず、と言葉がある。僕はこの言葉を大事にしている。その通りにしてきたつもりだ。スッと、その場にいなかったんじゃないか?という位の存在感であとにしたい。女々しい別れ方などしたくないのだ、手をあげてサヨナラを表現できればよいし、「またね」と次の約束も交わさずにその場を去りたい。

文頭の言葉は僕のものじゃない。それこそ10年付き合いのある方が発した言葉だ。単純におつかれさま、とやっぱり格好いいなと思ったのが率直な感想だ。特段近くにいた訳ではないし、10年間のすべてを見てきた訳でもないけど、ツラい時を見てきた人間としては「できることの精一杯」はやり遂げたのだろうなと。

納得行く終わり方、そうでない終わり方。どちらも経験してきた。自分の納得感と遣る瀬無さと、少しの虚無感。はじまればいつかはおわる。その間で何ができたか、何を残せたか、結局は自己満足でしかない。だが、それがとてつもなく大事だったりする。

終わりの瞬間に、これからの自分にワクワクできたか?について、僕はこれまで一度もない。故にそういった終わり方ができることに尊敬するし、ちょっと僕にはできないように思った。

少し暖かくなったら、お世辞にもキレイとは言えない居酒屋で瓶ビールでも飲みましょうや。そしたら、近況を聞かせてほしい、ワクワクの途中を共有してほしい。

@stupid
日々の戯れ言。