辞書をよむこと

suakyo
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昔は、友人が辞書を読んでいるなどと聞くと、はん、インテリぶってご苦労なこと、辞書は読むものじゃあないだろう、などと目を細めて「ふ〜ん」と返したものである。

しかし、近頃になって辞書を読む──読む?ことは意外と楽しいと気づいた。

すべての単語がただただ音順に並んでいるものだから、普通の文章の中ではまったく出会わないだろうと思われるふたつが、仲良く隣に並んでいる。

たとえば『演劇』が静かに立っている横には『偃月刀』が鎮座し、かと思えば当然のように『エンゲル係数』が割り込んでくる。エンゲル けいすう ⑦⑤──。絶対に見ないであろう取り合わせに、脳のどこかが刺激される。

ダジャレも思いつきやすいのでは無いかと思う。同音異義語がずらずらと並んでいるのだから。例えば……、『塩湖で縁故で援護した』みたいな。偶然ウユニ塩湖で喧嘩になった友人に加勢するために、遠い親戚のボクサーを呼んできたに違いない。

ふと変な漢字、知らない言葉に出会ったとき、知っている言葉の知らない意味を知った時にはわくわくする部分が少しだけ動くのがわかる。『わくっ』という感じだ。それを膨らませるかは自分次第。だから、どうも気ままに楽しむよりは、あたまのなかのわくわくをじゅうぶん膨らませる心構えで持って、辞書を持つのがいいようだ。

なんにせよ、ことばがたくさんだ。それも、ただ音の順という、言ってみれば全く関連のない並びでお利口に並ばされているのだ。辞書というのは、選び方さえ間違えなければわくわくの種だらけなのかもしれない。

@suakyo
たぶん今日もなにか考えている