「絵が上手い」のはなし

sualocin
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公開:2024/1/31

絵が上手いって人から言われると、居心地の悪い気持ちを強めに感じることがある。

これは褒め言葉であって、それをいただけるのはとても貴重で嬉しくてありがたいことだ、という認識はある。だけどずっと心の中に釈然としないものが残っていく。何故わたしは自然とそう感じてしまうのだろう。

以前に別のジャンルでSNSで絵をアップしたとき「こんなに上手い人がいるからわたしは描かなくても良い」というニュアンスの反応をいただいたことがあった。ああわたしは他人を威圧してしまった、加害したんだ、という気持ちになったのを覚えている。その人に何と返したのかは記憶に残っていない。居心地が悪かった。

絵の上達について、自分の中での目標みたいなものはある。それに従って行動してきたつもりだ。過去の自分と比べてここが良くなったなとか、逆にここはまだ課題を感じるなとか、そうやって分析するのがちょっと好きだったりする。

でも第三者から上手いですねって言われるとギョッとする。上手くなるというのはわたしのごくごくプライベートな課題点であって、誰かにそこを認めて評価してほしいと思って作っているわけではない。上手い印象を与えたいわけでもない。

画力で殴る、という言い回しがSNSで散見されるがわたしはああやって誰かを力で服従させるポーズを良しとするようなものの言い方がはっきりいって大嫌いだ。画力は権力でも暴力でもなくただの描画スキルでありそれ以上でも以下でもない。学力だってまったく同じである。

ここまで描いてて思ったが、わたしにとって上手いの定義は過去の自分との絶対評価でしかなくて、そこに第三者からの評価が突っ込まれるとフラストレーションを感じるんだろう。誰かにとっては上手だけど別の人が見たらそうでもない、みたいな状態もいやなんだろう。それにわたしは誰かをジャッジしたくないし、力関係を感じるのも好きじゃないんだと思う。好きなもの楽しいものおいしいものに囲まれて適当に生きていたい。

第三者からの評価をそのままモチベーションに転換できる人もいるだろう。それぞれのやり方で頑張れば良いんじゃないかと思っている。ただわたしはシンプルにストレスを感じるというだけのことだ。ただ、褒めてくれたこと自体はとても嬉しいと思っている。嬉しいからこそ心の中で整理のつけにくい問題になりがちで、難しいのである。

余談だが、わたしは素敵な作品を見つけてもスピーディーに感想をうまく伝えることができない。わたしの思ったことがその人の欲しい言葉ではない可能性とか、失礼だったり勝手に他人をジャッジしようとしていないだろうかとか考えてしまう。だからいつもふわっとした軽めの言葉を選んでしまうことが多い。本当は長く時間をかけてその人の作品を消化して、適切な言葉を選んでいきたい。なかなか難しいことだが、言えそうなタイミングでやっていけたらと思っている。

@sualocin
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