詩作をやめたときのこと

sualocin
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公開:2023/11/22

絵を描く前、わたしは詩を書いていた。あんなに好きだったのにもう書かなくなってだいぶ経つ。

詩を書かなくなったのは、書くことで日常生活に不便が生じたからだった。何かを書こうとすると自分がふっと地上から浮き上がって別のレイヤーに向かっていって、人の声が聞こえなくなったりぼんやりしたりとか、表情がおかしくなったりとかする。書くぞという気持ちがなくても、ふと思いつくとそうなってしまう。学生ではなくなってこれから仕事についたり勉強をするのに突然ふっと浮き上がってはいられないので、すっぱりやめてまるごと切り替えた方が良いなと思ったのだった。

そして、この頃に自分のセクシャリティを自覚した。ある日、昔から好きだった海外作家の小説を読んだらそこに自分が今まで感じていた葛藤がすべて書いてあったのである。

それは、ある男の子が自分がゲイだと気づき、自分の素直な気持ちや育ててくれた家族の思いを知っていく、そういう話だった。あまりに自分の抱えていたものと重なりすぎていて、わたしは自分がなんだかよくわからなくなり、これから何を書いていけば良いのかもわからなくなった。ちなみに、この頃に書いた日記が「眠れる鋼玉」である。

他にもある。わたしには、創作活動を通して社会に訴えかけたり、変えていきたいとか、誰かに影響を与えたいとか、そういう気持ちがなんにもなかった。好きな作品を鑑賞してうっとりしてその気持ちを綴るか、自分の身体に対する苛立ちをぶつけるとか、きのう観た夢を思い出すとかそういう内向きなことしかできなかった。周りの友達はみんな大きな夢や野心があったけど、わたしはからっぽだった。みんなのような強い野心を持つ人は、きっとコンスタントに活躍していくことができると思う。ちなみに好きな作品にただ耽溺していたい気持ちが強まったわたしはこの後kpopにどんどんのめり込み、絵を描くアイドルオタクになっていった。

だんだん書かなくなっていって、ゆるく付き合いがあった知人に会うたびには「あなたもう書かないんですか」とかよく訊かれた。いま思うとわざわざ訊いてくれるの優しいな。良い人です。

当時わたしは詩を書くほかに趣味で詩誌の表紙デザインをやっていて、彼女がわたしの装丁した本を見て連絡をくれたことから交流が始まった。

わたしも彼女も自分のセクシャリティに葛藤を抱えていて、いろんな物事に対して好ましいとか嫌だとかを感じるポイントがすごく似ていた。また、彼女はわたしとは違って、人前で自分の意見をはっきりと表明できる胆力のある人だった。掲示板に何度も晒されてるのに全然折れてないどころか自分から喧嘩をふっかけていた。現代音楽マニアで、詩のアカウントで咥えるちんぽ募集してたりぶっとんだ人だったけれど、すごく素敵だった。

彼女の詩を初めて読んだ時、めちゃくちゃかっこよくて美しくて暴力的なのに優しくて、完璧で、自分の思い描く理想の詩だと感じた。わたしの代わりに、この世界に彼女みたいな強い人がずっといて欲しいと思った。

わたしが詩を書いていた頃、よく作品を読んでくれていたのは自分より年上のお姉さんたちで、自分が若かった頃のいろいろな葛藤を思い出して親しみを感じる、と褒めてくれた。そしてわたしはいま彼女たちと同じぐらいの年齢になっていて、昔書いたものを読み返すと、やっぱり感じるのだ。きっとわたし自身にとっても詩は、若かった頃の記憶そのものだったんだろう。だからわたしはいま、詩を書いていないんだと思う。

@sualocin
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