ウォッチパーティでヴァチカンのエクソシストを観た。エクソシストものの映画は何気に初めてだったんだけど、観てたらああこれ陰陽師と同じ感じがする…!って逆に気づいた。
陰陽師だと敵対する術師がかけてきた呪いを跳ね返したり荒ぶる怨念を鎮めたりする。呪いや怨念ってそれ自体に人格があるというよりは、何か原因があって特定の強い方向に働いてくるエネルギーのことを指してる感じがするなと思う。一人称ではない感じでというか。これはあくまでも自分の解釈なんだけども。
それに対して悪魔って自我がだいぶはっきりしてるなと思った。自分の欲望に素直だし、明確にこっちを加害しようとする意志がある。映画の中ではめちゃくちゃ煽ってくる。「パンティ嗅ぎ野郎」とか言っててじわじわきた。でも自我がしっかり存在する分、やり方によっては交渉すれば話が通じそうにも思える。あとおしゃべりな人間や冗談が大嫌いらしい。やっぱり悪魔は孤独だったり悩みを抱えてそうな人間の心の闇に入り込もうとするものだから、楽しそうにしてる人間はやりづらくて苦手!ってことなのかなあ。ちょっとそういうところ雑魚っぽくてかわいいなと思った。あとなんかラテン語?が書かれた印籠みたいなアイテムをかざすと悪魔がしょぼしょぼになってた。印籠バトルだった。
あと悪魔の強いパワーでローマ教皇が突然倒れてビシャーッと吐血するシーンがあってうわーーおじいちゃん大丈夫かーーとハラハラした。けど最後ピンピンした姿で帰ってきてて笑った。この映画みんな身体がバカ強すぎる。ラッセル・クロウの神父にしてはめちゃくちゃいかつすぎる見た目も良かった。ていうかローマからスペインまでさらっとカブで移動してたけど…道のりきつくない?!タフな神父や…
スペインの修道院が舞台だったんだけども、修道院の地下にはかつてスペインで起こった激しい異端審問の名残りを思い起こさせるギアがごろごろ眠っていた。カトリックにとって大きな黒歴史となるこの異端審問を陰で動かしていたのは、実は今回対峙することになった悪魔アスモデウスで…とかおもしろい話が出てくる。魔女狩りに本物の悪魔を絡ませてくのおもろいな〜と思ってたら、この主人公の神父が実在するエクソシストらしいってことを映画の最後で知った。マジ??どこまでが本筋でどこからがアレンジなのか地味に気になる。
キリスト教世界が舞台の映画を久しぶりに観たなあと思い、なんか突然に薔薇の名前のことを思い出して、その後すぐu-nextで観ていた。
薔薇の名前は中世ヨーロッパの修道院を舞台にしたミステリーものの映画である。フランシスコ会の修道士で神学者でもあるウィリアムとその弟子アドソがバディになって、彼らの訪問先であるベネディクト会の修道院で起こった奇妙な殺人事件の謎を解いていく。原作の小説は結構難しいんだけど映画は大分すっきりしてて観やすい。
改めて観ると映画の本筋に加えて、いろんなことが浮かび上がってくる。例えば貧困の問題である。
この時代のキリスト教世界において、修道士とは大半が貴族生まれのセレブな人々だった。施設の運営費は王侯貴族からの多額な寄付で賄っており、やっぱり基本的には貴族のための施設である。日本でも、有名な武将や皇族が仏門に帰依するパターンはよく見かける。
彼らが日々勉学や研究に勤しむ一方、修道院のゴミ捨て口に群がって残飯をあさるリアルに貧しい民衆の姿が対比されるように映っていた。初見時はよくわからなかったけど、いま改めて観るとすごくああ〜となるシーンだった。ちなみにこのゴミ捨て口は殺人事件の謎を解く手がかりにもなっている。
ちなみにウィリアムが所属するフランシスコ会は托鉢修道会といって、特に「清貧」を追求する宗派だった。「清貧」とはお金への執着を捨てて質素に暮らそうということなのだが、フランシスコ会はもっとストイックだった。修道院はあまりに馬鹿デカくなりすぎたから、教会の所有する財産や土地をすべて貧困に苦しむ人たちにあげてしまおう、元はと言えばキリストだって質素な身なりをして貧しい人々を救っていたじゃないか、という考えを提示していた。
フランシスコ会は、この時代のなかでは比較的、貧しい人々や社会的弱者に寄り添うスタンスを取っている修道会だったのだが、こういう姿勢はヴァチカンにとって厄介だった。ヴァチカンはあくまでも教会の支配勢力を維持したい。ここで一文なしになっては異教徒と戦うための戦力が賄えず、結果的に教会全体の弱体化を招くのではないかと危惧していた。そんなわけで両者は対立してしまう。じゃあお互いしっかり清貧について議論しようかということになり、ウィリアム一行はそのためこのベネディクト会の修道院に招かれたのだが、修道院で突如として不可思議な殺人事件が起きるのだった。
そしてこの時代においては、教会内の汚職や姦淫が横行していた。美しい物乞いの娘とセックスするため、牛のモツ肉をぶらさげて気を引こうとする屠殺係の生臭坊主たちが描かれている。ちなみにこの現場にうっかり出くわしちゃった弟子アドソと女の子はお互いに一目惚れしてその後がっつりセックスする。朝チュンなどというレベルではなくかなりがっつり描写されてる(ぼかしは入ってるけど)。自分も父親もエロシーンの存在を全く知らず、一緒に録画を観てたらこの部分が流れて当時めちゃくちゃ気まずい空気になったのを思い出す…
ウィリアムを演じているのはショーン・コネリーなんだが本当〜にこのウィリアムがかっこよくてかわいくて好き。大人しく振る舞ってるものの自分の中にある好奇心が抑えられなくてアドソを連れていろんなことを嗅ぎ回っちゃうところがとてもかわいい。修道院のなかには無数の階段が張り巡らされた迷宮みたいな図書室があって(ロマンが詰まりすぎている!)、そこはキリスト教の教義を揺るがす内容が描かれたあらゆる書物を閉じ込めておく場所なのだが(ロマンが以下略)、「こんな素晴らしいものを隠しておくなんてもったいない!」っていう気持ちがダダ漏れになってるウィリアムめちゃくちゃ良い。しかも物語の終盤で混乱に乗じてちゃっかり本を何冊か持ち出そうとしていて良かった。
薔薇の名前、映画版がアマプラにあるのでよかったら観てみてほしい。ちなみに連続ドラマ版もあるっぽくて気になっている。
初見で殺人事件の真相を知ったとき、エッ…こんな…こんなことで…殺すんか…?と意外すぎてちっぽけすぎて驚いた記憶がある。でもいまこの現代社会においてSNSの治安が最悪になり不必要な炎上や争いが絶え間なく勃発しているタイミングでこれを観かえしてみると、犯人が大事にしている美徳がなんだったのか、今はちょっとだけわかる気がするのだ。(といっても殺人はやりすぎなんだけどな…)