環状線

suda
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ガタンガタン。電車の形容詞なんてガタンゴトンくらいしか聞いたことがなかったけれど、なるほど確かにこれはそうとしか表せないかもしれない。ぼんやりと外を見ながら、四十二年間の人生で初めて電車の走る音に真剣に耳を傾けていた。

数え切れない程乗ったこの路線も、日々乗降する人を変えながら休まず走っているのだと思うと、その苦労を労いたい気持ちすら湧き出てくる。

平日昼間だというのにこんなに人がいるのか。普段乗らない時間帯の車内をまじまじと見渡す。楽しそうにおしゃべりしている女子高生。背筋がピンと伸びた高級住宅地が似合いそうなマダム。疲れた顔でドアに寄りかかるサラリーマン。スーツケースを前において眠る旅行帰りとおぼしき人。スマホを横にして何やら指を動かしている大学生はゲームか何かをしているのだろうか。ちょうど顔を上げた彼と目が合ってしまった、気まずい。

到着のアナウンスとともに扉が開く。ターミナル駅のここでは沢山の人が降りて、そして、乗ってくる。東京という地はいつだって人が多い。あの人も毎日これ以上の人に揉まれながら私たちを養っているのだと思えば久しぶりに感謝の念が芽生えた。

あの人との結婚生活も十七年を越えた。大学のサークルで出会い、ふたつ上の先輩だった夫は入学したばかりの私にはとても頼もしく見えた。彼が働き始めて私が学生の頃は仙台と東京の遠距離恋愛だって経験したけれど、その時も冷めなかった愛が今となっては遠く感じる。後を追うように東京に出て働き出した私に少し経ってからプロポーズしてもらった日には、天にも昇る心地というものを実感したというのに。

思い出を巡ることも中途半端なまま、聞き馴染みのあるアナウンスによって我にかえる。そこは流行の最先端と名高い駅だった。先程の女子高生たちは一層声のトーンが上がり楽しそうに降りていく。自身が高校生の時は憧れたまま、ついぞ来る事はなかったのに娘の付き添いでは何度か降りた。

今年、十五になる娘は来年には高校生。最近は反抗期を迎えつつある。なんだかんだ言っても真面目な子だから暴力を振ってきたり、過度のやんちゃはないだろう。根気勝負。そう捉え直すと、年の功でこちらが有利な気がしてくるのだから不思議だ。

高級住宅街と評判の駅に着くと案の定マダムは降りていった。

ああはなれないのだろうな。

この年になると、人生の展望が何となく見えてきた。憧れないといえば嘘になるが、それでも執着してはいないつもりだ。私自身もパートに出ていて余裕のある生活ではないものの、月に一度、家族でケーキを食べる楽しみはあるのだから贅沢は言うまい。何も高級な時計やバッグが欲しい性質じゃない。娘の学費もあるのだから、身の丈にあった生活をするべきだ。

電車のこのドアは私と彼女を隔てるもの。・・・それにしては閉まる音がポップな気がするな。

ぼんやりしていると、最近できたという新しい駅についていた。降りたことのないその駅は先進的な名前に違わず、綺麗な容姿で人々を迎えていた。商業施設などは入っているのだろうか。ニュースを真剣に見ていなかったことをちょっと悔やむ。

手元のスマホで調べると、商業施設よりも駅ができて4年経っていることに気を持っていかれた。子供が出来てからというもの時が経つのが何倍も早くなったと感じていたが、あまりにも早い。そりゃ私も歳をとるし、娘も大きくなるわけだ。

こまめに止まっては進むを繰り返す電車。

今、出発したばかりの駅には有名なラジオ局があるはずだ。学生の頃は勉強や遠距離の傍らによく聞いていたのに、今では誰がパーソナリティをやっているかも知らない。生活が家族中心になれば、深夜帯と相性が悪くなるのも当然だけれど、今はタイムフリーなるものもあるらしいから久々に聞いてみるのもいいかもしれない。

 歩ける距離感にある次の駅もすぐに着いた。新幹線も停まる東京の玄関口。あの人との遠距離中は、この駅が好きで嫌いだった。今ではその人の職場がある少し特別な場所。

仕事終わりにこの駅で合流してディナーを食べたのはいつだっけ。結婚記念日は、主人が花を買ってくるだけの日へと最近は変わってしまったけれど、今年は娘も入れてどこか食べに出よう。

 二人との記憶を辿っている内に、美術館や動物園で有名な駅についていた。まだ娘が小さい時に来た動物園は、寒さで動物たちも元気がなく、それに伴って娘も不機嫌になって泣き出してしまった。あやすために気休めに、その時出ていた飛行機雲をなぞって見せたら、何故か娘が泣き止んだ。そんな一連の思い出が蘇る。

それをいたく気に入った娘は、飛行機雲自体を魔法だと思い、しばらく出してくれと私にせがんできた。気づけば言わなくなったけれど、私を魔法使いにしてくれた飛行機雲は未だにお気に入りで特別な雲だ。

動物園はもう興味なさそうだけど、美術館ならあるかしら。そっちは主人が好きだったはずだ。今はどんな展覧会をやっているのだろうか。

路線も一周近くなった時に着いた駅は、ご高齢の人が訪れることで有名な場所。実際に隣に座っていたお婆さんはしっかりとした足取りで降りて行った。降りたことはまだないけれど、私たちもいつか通うようになる予感がある。一人じゃなく、二人で通った方がきっと楽しい。

乗ってきた駅に着く。

もう大丈夫。もっとコミュニケーションは取った方がいいけれど、この一周の間にも考えるのは二人のことばかりだった。久しぶりに幸せな思い出も思い出せた。それだけで生きていけはしないけれど、支えになってくれる。今からなら夜ご飯には間に合う。

 駅を出ると赤く染まり始めた空に飛行機雲が見えた。