チャイムが鳴ると、生徒たちは一斉に外に出た。廊下にある簡易的な鍵付きロッカーに手を伸ばし、携帯を取り出す。最早、見慣れた光景。それぞれが手にするスマホには、莫大な情報が詰まっていて、ともすれば財布よりも大事な物だった。
ここ南丘中学校でも、防犯上スマホを持つことは推奨されていて、授業中はロッカーに入れておく決まりさえ守れば持ち込みは可能だった。
私も皆と足並みを揃える様にスマホを開いたが、通知はない。友達の少なさを思い知らされるばかりだ。ブラウザを開いて取り止めもないことを調べて、時間を潰す。友達がいないなりに身につけた処世術。
出席番号順に並んだロッカーの隣では、クラスでも目立った存在の丸山さんがお喋りしながら、高速のフリック入力を披露していた。数分も経てば、散り散りに教室へと戻っていく。
ホーム画面に戻ったところでしまった!と思ったけど遅かった。丸山さんの視線が私の携帯に注がれていることは明白だった。
「ごめん委員長、見えちゃったんだけどその壁紙って竹谷?」
誰かまで当てられてしまっては言い逃れできそうにない。
竹谷先生は去年の私のクラスの担任。先生は決してイケメンと言われるような顔でもなければ、おじさんという言葉もしっくりくるような三十六歳の年相応の先生。それでもどこか味がある顔をしていて、人の良さが伝わるクシャッとした笑顔がよく似合っていた。
苦手だった数学は、彼のお陰でクラス首位にまでなった。そう、私は、先生に恋に近い憧れを抱いていた。しかし、それがバレてはいけないことだとも分かっていた。そこまで盲目ではなかった。
ならば、この状況をどうすればいいのか。
「バレちゃった!実は先生をスマホの壁紙にしていると恋愛運が上がるってネットで見かけてさ、半信半疑だけど試してみたんだよね!」
全部嘘。かなり前からこっそりと待ち受けにしていた。
丸山さんは驚いたまま、口を挟んでこない。
「そりゃ信じてる訳じゃないよー。でも、お姉ちゃんの時にもそういうの流行ったらしくて!物は試しかなと思ってさ」
捲し立てるように続けば、案外それっぽいことが口から出た。十歳近く離れている姉が、芸能人を運気アップ目的で待ち受けにすることが流行ったことを実際に話していた。それが恋愛運だったかまでは定かじゃないが。
「ふ〜ん。そういうのがあるんだ。でも委員長が恋愛運なんて気にしてるなんて意外かも」
痛いところを突く。けれど、勢いに気圧されたのか丸山さんはそれ以上追求して来なかった。
次の休み時間も丸山さんは隣に立った。
「委員長、さっきの話だけどさ、」
心臓が跳ねる。やはり無理矢理すぎたのだろうか。
「私にもちょうだい!やってみたい」
意外な一言だった。先程の口から出まかせを信じてくれたということになる。言ってみるものだ。
けれど、本当はあげたくない。身から出た錆。自業自得。因果応報。色んな言葉が頭をめぐる。
一瞬流れたピリついた空気を消すよう、喋り出す。
「分かった。でも私がこの写真持ってたことは内緒にしてね。」
「もちろん!ありがとう」
丸山さんに彼氏ができたと噂になったのは、二週間も経たない水曜日のことだった。
にわかに竹谷先生の待ち受けは、学年を回り出した。クラスの写真を切り抜いたわけではない、こっちを見てピースする画質のいいそれは、誰が撮ったか話のタネになることはあれど、不明のまま。丸山さんは確かに口外してないようだった。
噂はどこで変わったのか〈担任を待ち受けにする〉というものから、〈竹谷先生を待ち受けにする〉になっていた。
指摘したら噂の根元を知らせるようなもの。黙っておく他ない。
少し落ち着いたと思った噂は、学年で一番可愛いと言われる北山さんへの告白が成功した男子が現れたことで爆発した。
流行りのアイドルなんか目じゃないくらい、学校では先生の写真を皆が持ち歩いていたし、驚いたことに回りまわって、他校にまで届いているようだった。
私はといえば、自分がきっかけだとバレることなんかよりも、先生のあの写真が私だけの物じゃ無くなったということに心を痛めていた。
噂はもう、校内で知らない人はいないほどになっていたある日、いつものように日誌と提出物をまとめて出しに職員室に行くと、竹谷先生に呼び止められた。
あの写真の流出元が私だと、バレてしまったのではないか。
去年の修了式の日に勇気を出して撮らせてもらった写真。他にも複数人「記念に」と写真を撮っていたから、バレないと鷹を括っていた。
「今日も頑張ってて偉いな!篠田は」
いつもと変わらない態度と言葉にホッとする。何も顔で好きになったのではない。じゃんけんに負けて、押し付けられて始まったクラス委員は、半ばキャラと化して誰も名前で読んでくれなくなった。しかし、竹谷先生だけは私を役職名ではなく、名前で呼び続けてくれていた。
「ありがとうございます。どうかしたんですか?」
「実はさ、今生徒の間で俺の写真が出回っているの知ってる?」
ギクリと胸が痛む。もちろん知っている。ここで懺悔すべきだった。
「あれ撮ったの篠田じゃなかったかなと思って」
聞きたくなかった言葉と、いつもは呼ばれて嬉しいはずの名前が頭の中で絡みあった。二の句を告げられず、立っているだけで精一杯になる。鼓動の音が大きく響く。手に汗が伝う。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
「実はお礼を言いたくてさ」
「え?」
想定外の言葉に、考えるよりも先に反射的に声がでた。
「あの写真が芸能関係の人の目に留まったらしくてさ、俳優としてやってみないかってスカウトが来たんだ。昔から憧れてて思い切って学校(ココ)辞めて目指してみようかと思って━━━━━━━━━」