毎年春に開催されるKYOTOGRAPHIE
開催が近づくと「ああ、もうGWが来るのか」と風物詩的な役割を担ってくれている。とはいえ今年ほど行きたいと願った年はないかもしれない。ひとの写真が見たいと思った。
京都新聞地下、インクの匂いが染みついて歩くと金属音のなるあの場所の展示はとても良かったと複数の人から聞いて最終週に滑り込んだ。ヴィヴィアン・サッセンは著名な写真家であるそうだが知識に乏しく今回初めて知ったうちの1人。色遣いとグロテスクにも感じる表現の数々にお腹がいっぱいになりながらひとつのシリーズに特別心を惹かれた。
「Umbra」
ラテン語で「影」を意味するタイトルは彼女の父の死に起因する。そこで記された写真たちはどれも色使いが豊かで、不穏で、ざわざわと心が揺らめくけれど居心地の良さも感じた。
わたしは人の死生観や死後の儀式に関心がある。スウェーデンを旅した時にはびっくりするくらい大きな墓地があるよと耳にして郊外までバスに揺られ向かった。
Skogskyrkogården
森の墓地と呼ばれるだけあって広大で、いくつも教会があったり、墓石が至る所に集合していたり。でもひとつひとつはゆったりとしたスペースを確保して新鮮な花も彩りを添えていた。沢山の人が訪れる観光地的な役割も担っているけどいやらしさは無くて静かな雰囲気が保たれているのは墓地という場所の特性から来るものだろうか。
海外はてっきり土葬文化だと思っていたけれど現代のスウェーデンでは火葬が主流だという。「そういえば日本の土葬はいつまであったんだろう」と埋葬文化について興味を持ちはじめた矢先に『土葬の村』という本を姉から貸してもらった。
日本では火葬が大半を占めているけど現在も(たぶん)土葬が行われている場所があり、法律でも禁止されていない。この本では葬儀に至る過程も記されていたが遺族には壮絶すぎやしないか…と読み進めるのを躊躇しまったりもした。もちろん火葬でも哀しみに暮れながら諸々の手配は大変に変わりなくて一番身近であるだろう喪主が哀しみに時間を割くことができないようなシステムなのかもしれない。死に関する本で言えば寄藤文平さんの『死にカタログ』、伊佐敷隆弘さんの『死んだらどうなるのか?死生観をめぐる6つの哲学』も記憶に残っているのでぜひ。