りんご入りのポテトサラダ

ohta
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祖母が亡くなった。

何年も会えずだったから、あまり実感が湧かない。訃報を受けてぼんやりした気持ちで外に出た。通りすがりの居酒屋から香ってくる焼肉の香ばしさ、祖父母の家に遊びに行った時の夜ごはんは焼肉だったなあ。掌くらいある柔らかな牛肉。きっと孫たちにたくさんお肉を食べさせたいとたんまり準備してくれていた。果物が入ったポテトサラダも甘くて好きだったな。

今朝コンビニで買ったカットりんご。たまにしか買わない、今日はそういう気分だった。りんごの香りで思い出す。家に帰る前に出てくるデザートでりんごをよく出してくれた。祖母の選ぶりんごはしゅわしゅわと柔らかくて擦りりんごのよう。甘ったるくて酸味のあるシャリッとしたりんごが好きな私は物足りなさも感じつつ、ここでしか食べられない味だなと思ってむしゃむしゃ頬張っていた。ヤクルトの定期購買もしており、羨ましてくて仕方なかった。冷蔵庫から拝借してはチマっと小さな穴を開けてちょっとずつ楽しんだなあ

思い出は香りで起こされることが多い。一瞬でその時の感覚を取り戻す。

古風で厳格な考えた方の人だったので伝えられなかったことが多い。大学を中退したこと、実家を離れたこと、離婚したこと。否定されてしまったらどうしよう。嫌いになってしまうかもしれない。そう思うと綻びを見つけられたくなくて自然と会う頻度が少なくなってしまった。言っていいこと、言わない方がいいことを考える会話はむずかしい。

2日後にお見舞いに行くつもりだった。うまく話せるだろうか、と心配していたけど叶わなかった。祖父が亡くなったのはちょうど10年前くらいだろうか。当時のことは断片的にしか思い出せない。直後に幼少期から共に過ごした愛犬が亡くなったことも重なり死生観ががらりと変わった瞬間だけはっきりと思い出すことができる。

あの日、仕事を休んで会いに行ったらよかったのだろうか。もっと早く、家で過ごしている時に気合を入れて会いに行ったらよかったのかな。これから先の人生で、おそらく同じ後悔を何度か味わうことになるんだろう、とどこか他人事に感じる自分も居る。頭に何人かの自分が住んで話をしているみたいにコロコロと対話してる。

祖母の家は整っていて、しゃんとした生活だったことが居なくなった後でもわかる。だけど作り置きのおかず、炊飯器に残ったごはん、保管していたチルドの惣菜たちを見つけた。

人が亡くなるって生活と地続きなんだな

(これは気持ちの整理のための文章)

@sudachi
京都でお店を営んでいます。