また深酒をして眠り込んでしまった。 明け方にふっと意識を取り戻し、文字通り頭が痛くなる。つい先週も仕事の前夜に飲みふけり、どうにか出勤したものの幽霊のような顔をしていたと思う。
「深酒」という言葉の意味を引いてみた。「いつもより酒を多量に飲むこと」。なるほど、それならもはや深酒ではない。ここ数ヶ月でとみに酒量が増え、倒れるように眠っては頭痛に起こされる日を繰り返している。
二日酔いなんて昔はなかった。胃袋の許容範囲なら幾らでも飲めて、記憶が飛びもしないのは自慢だった。20代の頃の話だ。今や30代も半ばを過ぎ、酒との相性は日増しに悪くなっていくのに、自分がザルだと未だに過信している。いい歳こいて酩酊したまま布団に倒れ込み、明け方に水を求めて這い出してくる日が来ようとは。我ながら情けないことである。
まるで酒を覚えたばかりの学生のような有様だが、そういえば本当に学生だった頃はどうだったろう。
はたして、行儀の悪い酒というものを私はずっと嫌っていた。授業の前日は極力飲まず、休みの前夜さえ時間制限を設けていた。水割りを好むのはチェイサーが必要ないからで、酒と同量以上の水分を摂りさえすればベッドに入るまでに酔いは醒めている。
人前で酔うことなんてなかった。多分、酔いたくもなかったのだ。誰かに迷惑をかけてしまうのを恐れるあまり、外では空いた皿やグラスに気を遣い、家では必ずきちんと片付けてから眠った。好きで飲んでおいて自制できなくなるなんて有り得ない、そんなふうに思っていた気がする。
誰かと飲む酒が楽しい、と思い始めたのは最近のことだ。
最近は飲み始めると何もかも投げやりだ。気づいた誰かが片付けてくれるし、荒らし放題のテーブルを放置して眠る夜ばかり。きちんと生きようとするあまり、誰かに甘えることが私はずっとできなかった。
お行儀が悪い方がきっと人生は生きやすくて、それが私はとにかく下手くそで、酒に弱くなることで少しずつ自分の弱さを許してやれるようになっていく。死んだような顔で出勤しても咎める人はいない。「今日、ずいぶん静かだね」「飲みすぎたんです……」「またか」。そんなふうに笑われておしまいだ。
きっともう「だらしない酒好き」として、「あの人、たまに死んだような顔してるよね」などと呆れられながらやっていくのだろう。まあ、元気な私は何ともやかましいので、多少具合が悪いほうが静かでいいような気もする。
[了.]