WSを共にした仲間の訃報を知って

mimizunomizuno
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今年の夏に参加したWSで4日間を共にした参加者であり、仲間の訃報が届いた。

届いたというより、そのWSの運営の方にふと連絡が取りたくなり、Messangerで連絡したところ、今年の11月にWSを共にした参加者の方が交通事故で亡くなったと知らせてくれた。

まさかそんな返事がくるとは。あまりに衝撃すぎた。

そのWSに参加していた頃、僕は何か寂しさに溢れていた。フリーランスとしてデザイナーとして活動する中で、クライアントワークというのは支援者であり、見方を変えると部外者でもある。

ずっとインハウスの会社でデザイナーとして働いていたので、そこには仲間がいた。しかし、独立してコーチとしてデザイナーとしても働くのは独立した個人。特にリモートワークの中で、自分だけが切り離されている感覚がなかなかにきつかった。

そんな中で参加したのがこの4DAYSのWSだった。

参加の初日は知らない人ばかりで、窮屈さもあったけれど、4日も同じ会場で同じ時間に集まるという体験がすごく懐かしかった。

WSでは、お互いの人生を探究し、共有する。バラバラだったグループが、四日を通して一つのグループになっていた。最後の日には、「同じものを信じている人たちがここにいる」そんな感覚が芽生えていた。

WSでは、タンゴのエッセンスを学び、全員で踊り、それを対人支援の技法に落とし込んでいく。

その参加者の中でタンゴを踊れる唯一の人が、彼女だった。

とても凛としていて、タンゴをしているせいか、姿勢もすっとしていて、美しい人だった。

何回か席が隣になり、短い間だけれど、たくさんのことを話してくれた。タンゴを軽く踊るワークの時もご一緒させていただき、「えー、すごくうまいです!ぜひタンゴ習ってください!」と言われたことも覚えている。

WSを終わった時、タンゴを習うか本気で悩んだが、色々と忙しく習うまでにはならなかったけど、いつか彼女のいる素敵なリトリート施設にも遊びに行きたいと思っていた。ゆっくり自然の中でお茶でもご馳走になりたかった。

本当に、短い時間だったのに、なぜか僕の中にも今喪失感がある。たった4日を同じ場で過ごしただけなのに。

でも、もしかしたら、あの4日間を共にしたということはとてもすごい体験だったのかも知れない。そして、手を重ね、少しだけでも音楽に合わせて踊った体験を、感覚を共にするということは、自分という存在は自分だけのものではなくなったのかもしれない。

そして、このタイミングで主催者の方に連絡を取り、その知らせを知ったことにも意味があるのだろうか。ちょうど、そのWSの体験記をnoteに書こうとしていたからだ。

もし彼女が横にいたのなら、「すぐさん、悲しまないでください。私は私なりに人生を楽しんだのだから」そう言ってくれるような気がする。これは不謹慎なことなのだろうか?

人生というのは、もしかしたらあまりにも一瞬で短いものなのかも知れない。自分の人生に躊躇している時間はないのかもしれない。

@sugu
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