デザインの得意の限界と、その先に何をみるか?

mimizunomizuno
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デザイナーのキャリアについては、引き続きちゃんとうだうだ考えている。toBのUIデザインは市場でにおいて本当に少ないみたい。なので需要はめっちゃ多い。時給も高く設定できて、とても感謝である。

自分が培ってきたスキルが、ちゃんと独立できるぐらいに培われ、そして得意になっている実感がある。

一方で、やはりデザインをやっていて思ってしまうのは、メンドクサイという感覚。あーめんどくさい。考えるのがだるい。

とは言いつつ、ばちばちとはまってきたり、問題解決の道すぎが見えると、すっきりする。これはやはり得意に入るんだろう。

ふとキャリアの初めを考えると、うーん、コーディングもLPのデザインもわけがわからないことばかりで、得意とは思えなかった。そう思うと、得意不得意は考えず、最初はがむしゃらにやるべきである。得意というのは、結局相対評価なのだから。

iPhoneが出たばかりの時代に、この人はUIが得意だ!なんて人なんていなかったろう。なぜなら、出てきたばかりのスキルであり、その頃のUIなんて、今のモダンなデザインと比べれば、クソみたいなものである。その中にも、テクノロジーの流れにおける発想の素晴らしさはあるのだけれど。

自分が得意なことでお金が稼げる。とてもありがたいことだし、それはある意味好きだからできることもある。設計思想を考えることだったり、新しいテクノロジーと触れることだったり。

でも、それには限界がある。僕はソフトウェアデザインの創設の歴史からのめり込むほど情熱はないし、趣味に時間を使うほど実験しようという意欲はそこまで薄いからだ。

(とは言っても、電車に乗っている時、いろんな人がスマホをどう使うかはみたり、何が今の時代で流行っているか何となく考えるし、新しいデザインの考え方については、やはり好奇心は向く)

そうなってきた時に、案件を受注して、ただこなすというのは限界がある。

その先を突破できるのは、自分が共感できるサービスだったり、一緒に働きたい仲間だったり、届けられる人をイメージできるか、それが世界に心から必要か思えるかどうかである。

お金が稼げるというのは、初速は早くても持続性が低い。

心から情熱を注げることは何だろう?その先に誰がいるのか、誰と限りある時間を過ごし、共に働くのか?

そんなことはうだうだ考えず、この瞬間に命や魂を注げるものは何だろう?

それは、仕事じゃなくたっていい。遊びでもいいし、読書でもいいし、ゲームでもスポーツでもいい。人生は仕事だけがメインじゃないのだから。

たとえめんどくさくても、稼いだお金で幸せを届けられる人がいるのなら、仲間がいるのなら、家族がいるのなら、きっとそれは有意義なことだろう。

人生という時間を、そして魂を、君は何に注ぎ込むのだろうか?

@sugu
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