社会課題に取り組む仕事を目指すのは個人の理想論か、世界の願いか?

mimizunomizuno
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(ロマンスカーで小田原から新宿に行く途中)


大学生のころ、心から情熱を注げる仕事は何だろう?と探し続け、デザイナーになり、新卒でヤフーに入った。

しかし、就職活動では僕もまた葛藤した。スタートアップで働き、デザインの武器を得たものの、その力を何に用いれば良いのかは見えなかった。だから、社会人としてデザイナーとして就職することに、本質的な意義を見出せなかった。

就職活動で言われたFBはこうだ「就職活動生の傾向として、社会課題系に取り組みたいというのはよくあるパターンだ。ちゃんと自己分析した方がいい」多分そんな感じに。

今、社会人歴を休学を含めて6、7年入れるとこの言葉の意味は何となくわかる。世の中のほとんどの仕事は人の役に立つことや課題解決であり、それはお金にならないとやっていけない。従業員を雇うために、ビジネスを拡大しなくてはいけない。

社会課題に取り組むよりも、多くの人が困っていて、お金を持っている人のために物を作ったり、サービスを提供する方がビジネスにつながる。そもそも、新卒の社会経験の少なさで、言って終えば需要が少ないところで戦おうとしたら、お金は稼げないし、従業員は疲弊する未来は見えてくる。

そう言った意味では、まず新卒のレールとして、自分のスキルを育み、経験を積み、世界を見た上で、それでも自分が心から情熱を注げるものが見つかった時に、そこに行くのがいい。世界には、そうしたくても実際のビジネスの現場の事情だったり、いろんな経験をしている先輩がいるので、その人たちのキャリアについて聞きに行くのがいいだろう。

今だったら当時の自分にそんなアドバイスをするだろう。

では、社会の課題を解決したり、役立つをしたいという根源的欲求は、承認欲求に留まるものなのだろうか?

きっとそうじゃないはずだ。そこには個人を超えた、人類単位で求められている声があるはずだ。若いものには若いものなりの、純粋な欲求がきっとあるはずだ。助けたいというピュアな気持ち。世界のために何かしたいという気持ち。

もちろん、若いからこそ目立ちたい。世界の課題に向き合っている自分はかっこいい。周りにチヤホヤされたい。そんな気持ちもあるだろう。

それでも、社会に対して違和感を持つという気持ちを、大人になってそのセンスが狂わないように。半径5メートルの人を幸せにすると同時に、同じ人として、自然と世界と、根源的な愛情で接することを、どうか忘れませんように。

@sugu
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